しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

アオイ書房『新詩論』を閲覧する


オレンジ色のかぼちゃを模した飾り付けに彩られた住宅地のあいだを通ってゆく。なぜかわたしが駒場近代文学館に行くのは決まって10月のこの時期なのだなあ、と今年もそんな家々を眺めやりながら思う。わたしはハロウィンという行事で使われる色の組み合わせがオレンジと菫色と黒というのがまったく好みではないので、いつからいつまでの行事なのかも知らないけれど。


必要があって、アオイ書房の出していた『新詩論』を閲覧してきた。あのしんとした薄暗い午後の閲覧室で。目的の調べものが済んでからも拾い読みをつづけていたら、60号(昭和17年5月1日)に、北園克衛の書評が載っており、そのなかに吉岡実の第二詩集が取り上げられているのだった。

詩集(液体)吉岡実著。前半を午前の部とし、後半を午後の部として三十二篇(ママ)の作品がおさめられている。午前の部は幾分曖昧な点があり、技術も亦不充分であるが、午後の部に於ては著者の才能が充分に示されている。特に午後の部の最初の数篇は完全な作品として推賞するに足りるものであろう。恐らく若き詩人として将来を注目すべきかも知れない。尚著者が応召したために小林・池田の両友人がこの詩集の刊行に当ったことが付記されている。A列五番型・百部限定・非売・草蝉舎刊。(p.8〜9)


吉岡実」というまったく未知の新人を、この時点ですでに「恐らく若き詩人として将来を注目すべき」と評価をしている北園克衛は慧眼だったと言えるだろう。以前、図書館で借りて読んだ『北園克衛全評論集』(沖積舎)には、吉岡実のことを書いた一文が収められていたけれど、確か「彼には会ったことがない」云々といったことが書かれているのみで、戦前にすでに第二詩集を読んでいたということには触れられていなかった。おそらく読んだことを忘れていたのだろうと思う。


それで、そういえば、わたしも『液体』という詩集はまだちゃんと読んだことがなかったなと思って、湯川書房版の『液体』(叢書溶ける魚No. 2)を書庫から出納してきてもらった。ユリイカ版の詩集『液体』は、著者の手により三十三篇のうち十二篇のみが収められ、残りは「稚拙」として削られてしまったが、この湯川書房版には三十三篇すべてを再録しているとのこと。この詩などはユリイカ版では削除されているが、左川ちかの詩のイメジや言葉遣いにとてもよく似ており興味深い。あの玉手箱のように愛らしい『うまやはし日記』のなかで、若き吉岡実が左川ちかの詩集を取り寄せていたことを嬉しく思いだす。


誕生

母胎が氷結する早晨
濁った血液の坩堝より
爬虫類に蔽われた太陽へ
一頭の青く濡れた馬かけのぼる


また、この詩もユリイカ版には掲載されていないけれど、『うまやはし日記』の淡い水彩画のような透明さと質感を思わせる静かで瑞々しい詩で、たとえば『MADAME BLANCHE』のリリカルな世界観に近いように思う。いかにもモダニズムの頃の詩という感じだけれど、わたしは嫌いではない、というかむしろ好みだ。


絵本

春のパセリの匂うまど
眼帯をはずす朝です
異人さんの子供の青い靴下
寺院の鐘が聞える
みじかいおまえの手紙と
貝がらのような雲と
犬は絵本もよめません
卵焼きのだいすきな叔母様
体温器はしずかにねむり
蝶がとおりすぎる
インクのついた指
明日は雨がふるでしょう



戦後詩の一番高みにあると言われているような吉岡実にも、こんな詩を書いていた時期があったのだ。そのことがとてもいい。第一詩集『昏睡季節』も読みたいなと思って、重い全詩集を借りてくる。なるほど、筑摩書房刊なんですね。