しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

《走って行く子供たち》(牛腸茂雄SELF AND OTHERS』(未来社)所収)

 

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靄なのか、それとも霧がたちこめているのか、光をまとった微細な粒子があたりいちめんを覆うなか、石灰の線が引かれた芝生の上を子どもたちが光に向かって駆けてゆく。はじめてこの写真を表紙に見た時、これは彼岸の光景なのかと思った。どこかこの世のものではないような、それでいて、親密さもそなえた不思議な雰囲気。書店や古書店に行くたびに手にとってぱらぱらと眺めては書棚に戻し、また手にとっては棚に戻すということを何年も繰りかえしたのち、やっとある日、意を決してこの写真集を新刊書店で買った。

あらためてキャプションを読んでみると、この写真が撮られたのは、子どもの頃に数年間通ったことのある、座間キャンプの独立記念日の花火の夜なのだった。

幼い頃のケイト・グリーナウェイの絵本や岩波少年文庫のメアリー・ポピンズからはじまり、欧米文化につよくあこがれていた子どもは、年に一度だけ部外者も立ち入りが許されるこの独立記念日の花火大会の日をそれはそれはたのしみにしていた。厚木基地の飛行訓練の騒音は毎日すさまじくて、飛行機が頭上を通るたびに両耳を覆うようなひどい日常だったにもかかわらず、子どものなかでは、あこがれの炎は消えず、それはそれ、これはこれ、だった。オサムグッズのセルロイドの筆箱を持って小学校へ通い、家ではノーマン・ロックウェルの画集を眺めたり、母が通販で買ってくれた「アメリカン・ヒット・ポップス」のカセット全集などを聴いて暮らしていたローティーンの頃。青と赤の縞のきゃしゃな薄い封筒が届くのが嬉しくて、海外に同い年くらいの文通の友までいた。かの女たちは今ごろ何をしているのだろう。

 この写真がながいあいだずっと気に掛かって、つよく惹かれていた理由が遅ればせながらやっとわかった。これはたぶんわたしのよく見知った光景なのだった。あれほどたのしみにしていた花火の夜を写した、という極めて個人的な理由で、この写真をおさめた写真集は忘れられない一冊。