しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

murmur

<追記・3/16> 普段、ここにお見えにならないような方々にまでぞくぞくと訪問していただいているようで「なんだか」という感じではありますが、まあ、でも自ら進んで言い出したことなのでちょっと補足を。何も岡田時彦の魅力に中野翠が疑問を投げかけたから…

中野翠『小津ごのみ』にひとこと物申す この日記という名の備忘録をはじめてから今まで一つだけ自分の中で約束事としていたのは、嫌いなものや嫌なことについては書かない、ということである。それは後になって読み返した時にきっとどんよりイヤーな気分にな…

とある方のご好意で、念願かなって、小津安二郎監督作品『お嬢さん』(昭和五年、松竹蒲田)の主題歌(!)、二村定一・天野喜久代『お嬢さんの唄』(昭和六年、時雨音羽作詩/佐々紅華作曲)を聴かせていただく。何という幸運なことだろうか。本当にありが…

執筆陣がなかなか豪華*1な高見順編『銀座』*2(英宝社、昭和三十一年)を読んでいたら、巻末の「銀座あれこれ」という対談のなかで、高原四郎(毎日新聞学芸部)が「銀座で思い出す人」として高田保と新居格の名前を挙げていた。それで、いつものとおりの単…

英パンの誕生日にロブ=グリエが亡くなった さて、昨日(2月18日)は我が愛する岡田時彦の生誕105年にあたる日だったので、彼が映画雑誌に寄せた随筆や『春秋満保魯志草紙』の一節など読んで過ごす。はじめて見た時はおおいに感動したのだけれど、英パンの手…

市川崑監督が亡くなられたのですね、九十二歳。オリヴェイラよりまだ七歳も若いのに....。亡くなる前の日に、偶然にふとした出来心で、山根貞男が『季刊 リュミエール』に書いていた「最後の加藤泰」という文章を読んでいて、加藤泰もキネカ大森にて特集上映…

成瀬巳喜男『三十三間堂通し矢物語』(東宝、1945年)を観にアテネフランセへ行く。二枚目の長谷川一夫があまりにも「ザ・二枚目」なので、ラストの田中絹代が独り言つ「立派なお方」という長谷川一夫を称賛する台詞を聞いて、思わず笑ってしまったけれど(…

映画つれづれ:溝口健二と小津安二郎 日本映画を観始めてからまだ日が浅く、最初は、おおよその人に違わず小津安二郎からはいったこともあるし、その完成され洗練され計算され尽くした小津の狂いのない美にすぐさま魅せられ惹き付けられたために、他に何も観…

大晦日に大正生まれの祖母が亡くなった、九十一歳。 お洒落とデパートと片岡千恵蔵と鰻とお寿司が大好きだった祖母。 わたしが山名文夫の唐草模様を懐かしく思うのは、祖母の、白粉がところどころこびりついていた三面鏡のついた鏡台にはいつも決まって資生…

今日は、早々にこの感想文を書き上げて、ラピュタ阿佐ヶ谷の「荷風と谷崎」特集の中の一本、豊田四郎『台所太平記』を観にいくつもりでいたのに、気が付くともうこんな時間になってしまったのだった、こりゃ間に合わない、とほー。

「温ちゃん」と「英パン」のこと 渡辺温*1のことは、花さん(id:hanaco)が会うたびに「きっと好きだと思う」と言ってくれていて、もう随分と長いあいだ「読みたいな、読まねば」リストに入っていたというのに、その日気分であちらこちらによそ見をして油を…

<本日の英パン発見> 文芸評論家・十返肇の随筆に英パンのことが載っている!と知って、こうしてはいられないッ!とまたしても慌てて図書館に駆け込む。どこだ、どこだ、と眼をらんらんとさせながら頁を繰ると、ありました、その名も「岡田時彦氏のこと」。…

K先生と小津安二郎 図書館仕事の話。ここ半年ほどかけて、K先生が寄贈してくださった大量の洋書を、通常業務の空き時間を利用して少しずつ整理していた。一度誰かの手を経た書物というのは、本を開くと、小さな栞代わりのメモやら青インキで書かれた手紙やら…

本日の英パン発見・番外編 その1『婦人サロン』(文藝春秋社)の巻 いつもお世話になっている演劇博物館に加え、先日の「川喜多記念映画文化財団」訪問を終えて、あらかた映画関係の雑誌でめぼしいものはもうほとんど見尽くしている気がするので、いよいよ新…

秋の夜長に英パンつれづれ 先月、新文芸座で指折り数えて楽しみにしていた、溝口健二『瀧の白糸』を観て、村越欣弥に扮した岡田時彦(特にクライマックスとも思える公判での訊問シーンのあの澄み切った表情ったら!)があまりにも素晴らしくて素晴らしくて、…

日曜日、日仏にペドロ・コスタの新作+トークショーを観に行く予定だったのですが、一時過ぎに行ったらもうチケット完売で観られませんでした。そんなに人気があるとは....シネフィル恐るべし。

なんやかんやですっかり間があいてしまった、世田谷美術館「福原信三と美術と資生堂展」の感想めいたことだけれども、一等印象に残ったのは、筆遣いが小出楢重みたい、と思った川島理一郎「セーヌ河の景(ポンヌフ)」と野島康三を巡る展示(あの細川ちか子…

英パンの死 英パンの死については、色々な人が様々なおもいを綴っている。小津安二郎が、谷崎潤一郎が、内田吐夢が、岸松雄が、山本嘉次郎が、斉藤達雄が、牛原虚彦が、そして、件の本の著者、南部僑一郎が。 その他、現物は未確認ながら、書籍では入江たか…

連休中は、憧れの富士屋ホテル(和洋折衷のうっとりするような建造物!なのだけれど、よくよく細部を見ると素敵なだけではなく結構可笑しい部分もあって楽しいのです、階段の手すりには猿を狙っている蛇が彫られていたり、「国際髭学会」なる古今東西のお髭…

昨日は、新文芸座にて溝口健二『瀧の白糸』『折鶴お千』を観て、今日は『赤線地帯』『祇園囃子』を観る。体調が悪くて『雪夫人絵図』が観られなかったのは残念だったけれど、溝口週間、我ながらよく通いました。『折鶴お千』の山田五十鈴も、昨年に引き続き…

<本日の英パン発見> 山本嘉次郎『カツドウヤ自他伝』(昭文社、1972年) 英パンとプロダクションを立ち上げたこともある山本嘉次郎については、以前の日記*1でも取り上げたけれど、これはその『カツドウヤ紳士録』(大日本雄弁会講談社、1951年)と『カツ…

<本日の英パン発見> 碧川道夫著・山口猛編『カメラマンの映画史 碧川道夫の歩んだ道』(社会思想社, 1987年) 市川崑『東京オリンピック』(1965年)では技術監督をつとめ、義弟・内田吐夢と組んで『限りなき前進』(1937年)や『土』(1939年)を送り出し…

岡田桑三=山内光のこと その弐 母の教会人脈がもたらした岡田桑三の豊かな文化環境については、本当に羨ましくなるほどに様々な出会いがあるのだけれど、特に個人的に興味深かったのが大橋家(横浜弁護士会会長・大橋清蔵とその妻・繁子、養女の房子)をめ…

岡田桑三=山内光のこと その壱 岡田時彦『春秋満保魯志草紙』(昭和3年、前衛書房)に「Monsieur Camouflage」なる文章がある。 其の僕を称して、俗に能書屋桑兵衛と號する山内光が一言以てMonsieur Camouflageと云った。(中略)此の點山内光が云ったムシ…

[book]

<本日の英パン発見> 『洋酒天国』51号(洋酒天国社, 昭和三十六年) えー、開高健の『洋酒天国』の目次に、あら、岡田時彦の名前が、はてな?と思って、いそいそとこの号を取り寄せてみたら、なるほどこういうことだったのね。 おくればせながらリバイバル…

<本日の英パン発見> 長谷川泰子『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』*1 椿寺の下宿は学生が多かったけど、一階には女優の葉山三千子さんが松山とかいう日活の俳優を一緒に住んでおりました。二階と一階だったんですけど、一軒の家だからすぐ仲よくなりました…

しつこいようですが....。 <本日の英パン発見> 内田吐夢『映画監督五十年』*1 谷崎潤一郎先生にはじめてお会いしたのは、横浜元町の大正活映のセットの中だった。それは丁度、先生の第一回作『アマチュア倶楽部』の撮影中だった。(中略)谷崎先生は、その…

<本日の英パン発見> その1: 山本嘉次郎『カツドウヤ紳士録』(大日本雄弁会講談社、1951年)に岡田時彦のことが出てくる。貧乏に喘いでいても、いかに彼が洒落男だったかが手に取るように伝わってくるくだりがおもしろい。自伝の中で「凡そ此のモダアン・…

またしても、岡田時彦のこと 岡田茉莉子が生まれたのは(1933年/昭和8年)。英パンは彼女を「魔子」と名付けたかったらしいが、周囲に反対されたらしく「繭子」とした、とのこと。「魔子」と聞いてピンと来て調べてみると、1931年に『改造』で発表された龍…

終日休みを取って、午前九時半の開館時間と同時に国会図書館でいそいそと岡田時彦関係資料をひたすら閲覧して過ごす。映画と同様、彼に言及されている本や資料の少なさよ。寂しきことなり。目ぼしい論文をコピーした後、ついこの前、岸松雄『日本映画人伝』…