しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや



執筆陣がなかなか豪華*1高見順編『銀座』*2英宝社、昭和三十一年)を読んでいたら、巻末の「銀座あれこれ」という対談のなかで、高原四郎(毎日新聞学芸部)が「銀座で思い出す人」として高田保新居格の名前を挙げていた。それで、いつものとおりの単純さでもってにわかに高田保新居格が気になりだす。新居格には『月夜の喫煙』なんていうセンスの良いタイトルの本があるので早速読みはじたところで、高田保は『高田保著作集 第三巻』(創元社、昭和二十七年)が内容注記を見るだけでこれでもかてな感じにモダニズム満点(銀座雑記帳、当世女給気質、モダン買物術など)なので大変に気になっているところ、これも近日中に読むつもり。高田保小津安二郎の日記にもその名が出てくる、当時、数寄屋橋を越えて四丁目のあたりにあった富士アイスによく入り浸っていたそう。

保ちゃんに聞いたことですが、保ちゃん、新居格さん、それに馬場恒吾さんなんかも加えて、ウォーターマン・クラブというのがあったそうですよ。例の富士アイスにねばっていて、テーブルに坐ってウォーターばかり飲んでいたんですね。

このくだりを読んで思い出したのは、今、手元にないのでどの巻だったか忘れたけれど、ゆまに書房『コレクション・モダン都市文化』の「銀座のモダニズム」か「カフェ」か「グルメ案内記」のどれかに書いてあった(酒井眞人が書いていた「カフェ通」の文章だったかな?)「パンとヒーヤマン」と称されている人々のことで、その名のとおり、レストランやカフェでパンとお冷やしか注文しない人々を指すんだそうで、まあ端的に言ってくだらないのだけれども、どうも耳に残る言葉で、本を返却した後もいつまでもこのフレーズを覚えていたのだった。



さらに、英パン探しに没頭していた時期に出会った、岸松雄『日本映画人伝』に、岡田時彦が京都ホテルの食堂でたった五銭で食事をするという武勇伝というかただの悪戯というかそんなエピソードが載っていたのをまた思い出してにんまり。

まずキチンとした洋服に身なりをととのえ、ホテルの食堂へ赴く。テーブルにつく。ボーイが来る。「トースト!」と、ハッキリ注文する。呆気にとられたボーイが、トーストを運んで来たら、こんどは、「水!」と云う。当時、京都ホテルのトーストは、五銭。水は、云うまでもなく、タダである。こうして岡田時彦は堂々と五銭で京都ホテルで飲み食いをする悪戯に成功する。

ウォーターマン・クラブだか、パンとヒーヤマンだか知りませんが、多少の呼称は違えど、揃いも揃ってやっていたことは皆同じという訳ですね。それにしても、岡田時彦の茶目っ気ったら.....!真顔でこういうことをしらっとやってのけてしまう人には、わたしはどうしても贔屓目になってしまう。


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これだけでは何なので、『婦人サロン』(昭和四年十一月一日号)より一木薔子「銀座風景」のディテールがたいへん素敵なので引用。1929年型モダン都市・銀座が立ちのぼってくるような細部の描写がまさに風景をそのまま切り取っているようで、モダニズムの空気を存分に愉しむことができます。

.......セルロイドの頬をした少女が、ココア色のリボンを買つていた。やさしい十月のおしたくーーー。私も、オリイヴのを買ふ。(中略)

まるでカリカチュアみたいな妙な様子をした男が、楽器部でレコードを聞いていた。あれで、シークのつもりなのだらうから、ほんたうにおかしい。(中略)

時間の都合が、ちやうどよかつたので、邦楽座に行く。トオキーの、(コンサアト)の、アドルフ・メンヂウがピアノを弾いているところだつた。へんなひびきの拍手のおと、それから、メンヂウのためいきとフレンチとペエゼと。フェイ・カムトンの歌聲はうつくしい。けれど私は、トオキーなんて嫌ひなのだから、はすかひの位置にいる、若い西洋婦人のプロフイルにばかり気を取られていた。どつちかといふと、私はムサシノの方が好きなのだが、外人が多いのは邦楽座だ。(中略)

黒塗のパッカアド*3が疾走する。水の様な触感で、しつとりと肩をつゝむのは霧ぢやないかしら?

「おなかがすいたわ。三日位、何もたべない様なの。」

さう言つた妹の顔が、たいへんきれいだ。銀座の青いゆふやみは、やはらかなヴエールの様にかぶさつて、女の顔をみんなうつくしくする。

「モナミ?エスキーモ?」
「不二屋がよかなくつて?あすこ、なかをなほしてから、まだ一度も行つてないんですもの。」(中略)

明滅する広告燈。ひつきりなしに走る円タクとぶざまなバス。廻転するGo!Stop! 街路樹の梢に引かかつているあきかぜ。信盛堂の眞赤なたてもの。メエ・ウシヤマはお留守のハリウッド。新しいクロネコは、悪趣味な船の格好だ。にほひ、ひかり、いろ、かげーーー。

「すばらしいひとを、ひとりだけでいゝの。見つけたいわね。」

私は妹にさうささやく。

何と雑多なひとみ。そして、黒い化粧睫毛。あどけないビユティ・スポット。セピアの眉。おしやべりな唇。そらいろのたもと。または明るい仏蘭西風のドレス。耳かくし。おさげ。チアミングな毛巻。ルイズ・ブルックス型の断髪ーーでも髪だけが、ブルックスなんでは、つまらない。

「あの人の眼は葡萄みたいなのよ。」
「あらいやだ。まだもみあげなんかくつつけたひとがいるのねえ。」
「いますれちがつたの、ささきふささんぢやなかつたの?」

(中略)

服部時計店のももいろの置時計が、5をさした儘とまつている。..............サエグサの窓のお人形の唇が、憎らしいほどあでやかだ。松坂屋のシヨウウインド・ドウルは、首に青い肩掛けを巻きつけている。..........資生堂の紅い化粧水。象牙色をした伊太利製のがくぶち。ピエロ人形。きやしやな夜会靴。ヨシエ・フジワラ*4の、六代目*5の、アニタ・ペエヂの、デンメイ・スズキ*6の顔・顔・顔........。

黒づくめによそほつたマダムが、ヂアスミンの香をこぼして、お魚の様にゆれてゆく。セエラ・ズボンと歩調を合わせた、フレンチ・ヒールの靴の脚。だが、かなしいニホン・ムスメの脚だ。少し濃すぎるほゝべにだ。ハンド・バッグからはみ出している、チョコレエトの銀紙。

*1:奥野信太郎十返肇、藤原あき、細川ちか子、安藤鶴夫秦豊吉、筈見恒夫、池辺良、岸恵子井上友一郎、高峰秀子森繁久彌など

*2:画像は、小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より《春の銀座夜景》 (昭和六年)、カフェークロネコ伊東屋のネオンが見える。

*3:佐藤千夜子『当世銀座節』(西條八十作詞、昭和三年)の歌詞のなかにも「ナッシュにシボレー、パッカード」というフレーズが出てくる。

*4:溝口健二『ふるさと』(昭和五年)に主演した「我等のテナー」こと藤原義江。今、この人の奥さんだった藤原あきも気になっています。

*5:六代目尾上菊五郎は小津も溝口も英パンも皆贔屓であったそう。岡田時彦はその随筆の中でたびたび六代目のことについて書いている。小津安二郎『鏡獅子』(昭和10年)は英パンが亡くなった次の年に撮られたんだなあ。

*6:英パンの親友の一人、鈴木伝明。昭和四年だと鈴木伝明なのか....!と悔し。昭和一年か二年だったら、確実にここはトキヒコ・オカダになっていたはず。