しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

中野翠『小津ごのみ』にひとこと物申す



この日記という名の備忘録をはじめてから今まで一つだけ自分の中で約束事としていたのは、嫌いなものや嫌なことについては書かない、ということである。それは後になって読み返した時にきっとどんよりイヤーな気分になるに違いないから、というのと、そもそも自分でさえ見るのが嫌な排泄物のようなものを他人さまが見て快いと思う訳がないからであって、極力、嫌いで不快なものについては書くまいと思ってきた。とかくこの世はままならぬ、日常に転がっているのは素敵で美しくて愉しいことばかりでは決してないけれど、でも書くことだけには、そのほんの少しの、今日見つかった悦びを大袈裟なまでに書くのだ!と思ってきた。



前置きが長くなったが、今、書店で平積みに並んでいる中野翠の『小津ごのみ』(筑摩書房)である。



この人については、まあ、多分に近親憎悪的なものがある(端的に言って好みが似ているからだ、尾崎翠にしろ、森茉莉にしろ、小津安二郎にしろ)にしても、昔から一切合切含めてどうも気に入らない。コラムニスト・中野翠は「鼻につく」。なのだから、無視を決め込んで素通りすればいいものを、一方ならぬ偏愛する小津安二郎について書いているとなれば、そうは言っても手に取って眺めずにはおれず、それでぱらぱらと読んでみたら、やはり案の定文句のひとつも言いたくなった。



この連載は『ちくま』に掲載されていた時からぽつぽつ読んでいて、とは言え、全部読んでいる訳ではないのであんまりエラそうなことは言えないけれど、何しろカチンと来たのは英パンこと岡田時彦についての記述だ。手元に本がない(買うもんかい!)ので正確な記述を抜粋することはできないけれど、要約すると岡田時彦は顔が大きくて身体が貧弱でこれが二枚目?という趣旨のことをヌケヌケと言っているのだ!くそ、これはもう岡田時彦ファンとしては読み捨てておけない冒涜(大袈裟な....)ではないか。中野翠が戦前の小津のサイレント作品を観て、岡田時彦にそのような印象しか持てなかったのであれば、よほどその眼は節穴か感性が鈍っているか、当時の文献や雑誌記事や映画人の回想録を丹念に読み込んで調べていないか、そのどちらかだ。そりゃ蛮友社の井上和男編『小津安二郎 人と仕事』は読んだかもしれないが、そんなのは素人だってちょっとした小津好きならば皆手に入れるのは無理(市場はべらぼうに高値がついている)にしても図書館で探して読んでいるのである。



改めて言わせてもらうが、岡田時彦は、誰が何と言おうと、日本映画史上最高の「絶世の美男」(竹中労『日本映画縦断1傾向映画の時代』)なのだ。日本映画史上「最大のスター」とはもちろん言わない、それは、やはりトーキーまで活躍したバンツマやアラカンだと思うからだ。しかし、史上「最高の美男」と言えばそれは岡田時彦と相場が決まっているのである。そのことは、彼が出演した多数のフィルムがあらかた失われてしまった今となっては、数少ない現在観ることのできる作品(たとえば、溝口健二『瀧の白糸』での澄み切った美貌はどうだ?)と合わせて、それを補完するかたちで文献や聞書などで確認してゆく作業が必要になる。だけれども、戦前の雑誌記事をひもとくとか、谷崎の書いたものを読むとか、同世代の映画人の書いた文献やらをあたってみれば、そんなことー岡田時彦が「天才で」「絶世の美男」だったことーはすぐに判るというものだ。もう以前の日記で散々書いているので具体的にはここでは挙げないが、んまァ、よっくもそんな失礼なことが言えたものだわッ!っとむかッ腹立ててぷんぷん怒りながら本屋から帰ってきたのであった。



だいたい、昨今の小津本の過剰な量産ぶりにもひとこと物申したい。批評では蓮實重彦『監督小津安二郎』があり、映画史では田中眞澄のみすず本『小津安二郎のほうへ』『小津安二郎と戦争』『小津安二郎東京物語」ほか』などがあり、シナリオならば井上和男が編集した立派な『小津安二郎全集』があるのだから、よっぽど切り口が斬新だとか今までにない新しい視点がないならば、もう小津本は出すな、意味がない、「小津の余白」(蓮實重彦)はもうそんなに残されていない、と言いたいのである。いいや、それでも、俺は/私は小津本を出す、というのならば、せめて竹中労の凄まじい執念(これぞルポライター魂なのか?圧巻)に満ちた「凄い、何てよく調べているんだろう!」と読む者を驚嘆させずにはおれない『日本映画縦断』シリーズ(この『映画渡世 マキノ雅弘自伝』や『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』に匹敵する最高の映画本、何処かキチンと復刊してくれー!)程度に徹底的に調べ上げてから、それから書いてくれ、と言いたいのである。でなきゃホントにイミナイヨ。だいたい、日本は本出し過ぎ、どーでもいいような本が出過ぎ、執念や心意気を感じられるような本が無さ過ぎ、と私の怒りはさらに膨れ上がりますますヒートアップしそうなのでこの辺で止めておきますが。



以上、むかッ腹立てて書き殴ってしまった日記、読んで下さっているみなさまにはお目汚し、失礼致しました。*1ああ、今日はあの素晴らしきジャン・ルノワール素晴らしき放浪者』について書くつもりでいたのに、まったく嫌んなっちまう.....!

*1:あと、文体がややいつもと違うのは竹中労が憑依しているからであります。