しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


先週末、埼玉県立近代美術館にて「没後30周年 熊谷守一展 ー天与の色彩 究極のかたちー」「リサーチ・プログラムー小村雪岱の江戸モダン」を観る。自宅から自転車散策圏内であるところの熊谷守一美術館は、打ちっぱなしの壁にモリカズの蟻んこの絵が描かれているのが何とも可愛らしくて好きな個人美術館のひとつ(と書いてみて、今美術館のサイトをみたらどうやらいつのまにか区立に変わっていたらしい)。



熊谷守一の絵の魅力を言葉にするのは難しい。守一の絵についてよく評される「童画のよう」というような言葉では、熊谷守一の絵に存在する何か重要なものを見落としてしまうような気がする。太い輪郭線ではっきり象られたフォルムに、単色で平板に一定のタッチで絵具を塗り込むといったいわゆる「守一様式」が確立された後の作品群は、観ていて色彩に「あてられてしまう」といったような表現がしっくりくる眩さで、どの作品も力強くて、まるでこちらのエネルギーが吸い取られてしまうかのようで、勿論これらの作品は凄かったのだけれども、何だか生気を吸い取られてしまったようでずいぶん疲れてしまう。とか言いつつ、《猫》《くろ猫》などの猫の絵が展示されているコーナーでは猫好きにはたまらないといった感じにひたすらにんまりしっぱなしでいつまでもうろうろ、だったのだけれども。熊谷守一の描く猫の絵でいちばん凄いと思うところは、猫のかくんとした背骨がしっかりと感じられるところだ。実家のくろ猫の、三角耳と三角耳のあいだの狭い頭からしなやかな背中にかけて撫でた時に途中にかくんと在るのが判る背骨。その背骨の存在が、熊谷守一の猫の絵を一目見たときに「あ、ちゃんとある」と思ったのだ。



一通り見終わってから、ふたたび足を向けたのは初期の作品群の展示のところで、今回、わたしはむしろその「守一様式」を確立するまでの、試行錯誤の時期に描かれた作品群に興味を抱いた。熊谷守一の色感のよさが窺われる《最上川上流》(1936)《雄鹿川》(1939)といった作品の色合いの素晴らしさに目をみはり、とりわけのちの夫人となった大江秀子を描いた《某婦人像》(1918)の前で惹き付けられて長いこと佇んだ。ストロークのやや大きめのタッチは、様式が確立されてからはとんと目にすることがない筆遣いなので珍しいのと、全体に沈んだ鈍い色調の画ではあるけれども、首筋から頬にかけてあてられた光による陰影が美しく、これは古谷利裕さんも書いていたけれど、まるでマネの描いたベルト・モリゾの肖像のようだ。そして、この色調はいつか遠い昔に母の画集で見た記憶のあるロートレックの描く踊り子にそっくりだ、とも思う。


余談だけれど、ベルト・モリゾを知ったのは恥ずかしながらここ1、2年のことで、遅ればせながら彼女の画集を観て、もう物凄くわたしの好みなのでうっとりしたのだった。洗練されたタッチと色彩とそして、眩いばかりの光が.....!とりわけ後期の作品群が凄い。あと、ささっと描いたような水彩画がまた物凄い。もう参りましたという感じで、ジャン・ルノワールビクトル・エリセの映画を愛するように、ベルト・モリゾの絵が好きになった。それからというもの、メアリー・カサットよりも、断然ベルト・モリゾ!と思い続けている。


小村雪岱の江戸モダン」、小村雪岱の描いた挿絵やら舞台装置やら木版画やらが観られて嬉しい。とりわけ、泉鏡花日本橋』(千章館、大正三年)の装丁の美しさよ!(展示されているのは日本近代文学館の出版した復刻版)「春で、朧で、御縁日」の雰囲気がそのまま手に取るように伝わってくる本当に美しい本。文庫版などで済まさず、こちらの復刻版で読めば良かった。そして、もちろん思いを馳せるのは溝口健二監督作品、梅村蓉子・岡田時彦主演『日本橋』(日活太秦、昭和四年)なのだけれども、この話をはじめるとまた「キャー、英パン!」となり、脱線著しくなることが目に見えているので今回は止めにして、『日本橋』の装丁は個人的な変な思い入れが強すぎるのでさておくと、いっとう気に入ったのは木版画の《雪の朝》(1941頃)なのであった。このコンポジションの斬新さ、大胆さ!まったく関係ないのだけれども、画面の中央に曲線が横断しているのを見て、なぜか中山岩太の《福助足袋》(1929)を思い出してしまう。