しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

欧州旅行記 その3

9月26日、晴れ。美味しいけれど少し塩辛いハムとチーズを挟んだバンズにコーヒーという簡単な朝食を摂り、さっそく街へ出掛ける。トラム2番に乗り、通勤自転車の列がものすごいスピードで縦横無尽に往来をゆくのを驚きの交じった思いで眺めやりながら、Museum-pleinにて下車。国立美術館http://www.rijksmuseum.nl/)の開館までしばらく時間があったので、近くのWillemspark95番地を探しに行く。ここは「ウィレムセン氏夫妻の宿」として、平出隆葉書でドナルド・エヴァンズに』に登場する場所だ。両側に木立を見遣りながら通りを行き目的の番地に辿り着くと、建物の一階部分は「アムステルダム・ファッション・アウトレット」という洋服屋になっており、「ウィレムセン氏夫妻の宿」はもう跡形もなく無くなっていた。家人はバックパックで欧州を旅行中の1999年にここに泊まったことがあるそうなので、感慨深げに辺りを見回すと「あーここだ、ここだ。このドアを開けると急な階段があって。そうか、なくなっちゃったんだなあ」と言い、プレートに今は違う住人の名が刻まれた胡桃色の重厚な木製のドアを指差した。


開館と同時に国立美術館へ。全体的な印象としては、レンブラントはやはり凄いなあという、まったくもって何も言ったことにならない呟きのみ。フェルメールには――こんなことを言っていいのかどうか判らないけれど――率直に言って画によって出来不出来があるような気がする。それはマウリッツハイスでも感じたことだ。《牛乳を注ぐ女》は窓から射し込むオランダの微光に画面が粒立っているのが判る文句なしに素晴らしい作品だけれど、《恋文》などは奥行きのある画面はともかくとしてもさほどの出来でもないような...。しかしレンブラントにはそういった波が感じられない。初期から晩年にいたるまで一貫して恐ろしいほどに素晴らしい。その圧倒的な描写力が画面から細かい針のようにしてこちらに刺さってくるような心地がする。肖像画は基本的に顧客の注文により描かれる場合が多く、自画像を除いてしまうと退屈な作品の割り合いが多いのであまり好きではないのだが、レンブラントだけは別格だと思う。あの光と闇、強弱の付け方...!何と生々しさにみちていることか。


レンブラントはあまりに天才だったから、おそらく初期の段階で技巧的なものはすべて獲得してしまったのではないか。それを突き詰めてしまって、あとはそのまま安定飛行を保って一生を終えることだってできただろうに、年譜を読むと彼はその退屈な栄華の道?を選ばなかったようだ。後年の自画像では特に、描き込む場所とそうでない場所とを意識的に使い分けているのが観察者にもはっきりと伝わってくる。そのコントラストが他のどの画家のものよりも鮮やかに画面に顕われていた。これは当時としては極めて革新的な描き方だったのではないか。


別室ではドガの描く肖像画にレンブラントの影響が垣間見られるという好企画*1があり、とても興味深い。そりゃあんなに凄い自画像を見てしまったら影響を受けるだろうとも、などと頷きながら観る。ドガの描く線はとても優雅でまどかな印象で、背景処理の仕方などに生来のセンスの高さが感じられる。ドガの何とも洒落た洗練された感覚というのはさすがフランスの画家といったところなのだろう。こういう企画をさらっとやってのけてしまうのはやっぱり日本の国立美術館とはひと味違うよねえと家人と話し合う。迷路みたいな訳の分からない順路を組み、小手先でまとめあげたような展示でクレーをやっている場合なのでしょうか、ってまだ根に持っている近美のパウル・クレー展。それはともかく。


今回のアムステルダム行きを思い立ったのは、ひとつに、我が偏愛の本であるところの『葉書でドナルド・エヴァンズに』を抱えて旅をするという目的があったのだけれど、もうひとつは、ここのところずっと本を積み上げて読みふけっていた北村太郎が『詩へ詩から』(小沢書店、1985年)という本のなかで、この国立美術館についてこんなふうに書いていたからだ。


「なぜライクス・ミュージアムへ行きたくなったのか――実は先日、ロッテルダム市のボイマンス=ファン・ブーニンヘン美術館に、これもだれの案内もこわずに一人で行って、十六、十七世紀のオランダ絵画のすばらしさに、ほとんど陶酔といってよいほどの感銘を受け、もう一度、同じ感覚を心ゆくまで味わいたいと願ったのだった。この望みは完全に満たされた。わたくしは西洋絵画にうとい人間だけれど、古い時代のオランダ画家たちの偉大、深遠、繊細の印象は、当分わたくしの心から消えそうにない。」(「オランダの十日間」p.222〜223)


じっさいにわたしも今回これら16〜17世紀オランダ絵画を数多く観ることになって、なぜ北村太郎が「ほとんど陶酔といってよいほどの感銘を受け」たのかを考えたのだけれど、そうかとひとつ思い当たった。それはこの時代のオランダ絵画が持つ光の具合と彼の詩作におけるそれとが、どこか似通っているからなのではないかということだ。スキポール空港発の列車の車窓から射し込んでくる最初に感じとったオランダの微光、ずいぶんと長く感じられる明け方の薄明の時間と刻々と変化するその光線と色彩、そして例えばフェルメールの絵画から感じ取れる窓越しのにぶい光といったものが、北村太郎の詩の世界だとわたしが感じる《闇のなかの微光》(id:el-sur:20110830)を想いおこさせるのである。そういえば、彼には『あかつき闇』という名前のついた詩集もあるのだし。


New Markt方面へ出て、前の日に通りかかって気になっていた――ウインドウにフェルナンド・ペソアの詩集の隣りにブローティガン"In Watermelon Sugar"が並べてある――古本屋"Antiquariaat A. Kok & Zn."*2を覗く。よかった、今日は開いている。場所柄なのか文学書や哲学書、美術書/画集などが揃い、可愛らしい挿絵の入った児童書も充実しており、真ん中の台には古写真やカード、さまざまなモティーフごと(アムステルダムの風景、鳥、薔薇、海洋生物、ほ乳類など)に並べられたリトグラフ、銅版画、木版画の束が置いてある。どれも古いもの特有の、どこかとぼけたようでいて優しいくすんだ表情のものばかりで、とても美しい。その中から手頃な値段のものを選び出してどれにしようかなとしばらく悩み、"1890年頃"と裏面に書かれた、鳥のリトグラフ(ツバメやヒバリやモズ?)を一枚お土産にもとめた。それから、 P. Fouquetという人が1760年から83年にかけて描いたアムステルダムの風景が載った小冊子"Catalogus 115 prenten Amsterdam"と、1890年代の写真を絵葉書に仕立て直したものと。


レンブラント広場で軽食をとって、トラム14番で西教会の方へ行き、ヨルダン地区を歩く。水色やレモンイエローなど可愛らしい色で塗られた家に映えるゼラニウムの鮮やかな朱赤。緑の多い小径が並び静かだけれどのんびりと散策するにはうってつけの場所といった感じ。運河沿いにいくつものカフェが立ち並び、街の人々は今年最後の夏と言わんばかりにカフェの外に陣取り陽光を謳歌しているように見える。夕刻になったのでふたたび美術館広場の方面へ戻り、市立美術館近くのカフェ「スモール・トーク」で休憩したあと、最後にゴッホ美術館へ行く。混雑が予想されるので、閉館一時間半前に行ってみたのだった。それでも結構なお客の数である。ゴッホという画家に特に思い入れはない(失礼!)のだし、そもそもこの前国立新美術館で主要作品を観たばかりであったので、作品を観る歩みも自然と早まる。セルリアン・ブルーを背景に白いアーモンドの花を描いたものが観られたのはよかったけれど、ゴッホの作品ではいちばん気に入っている《マルメロ、レモン、梨、葡萄》という作品が今回の展示になかったのはがっかりであった。


コレクションではゴッホ以外の画家の作品も展示されており、わたしはそこでお気に入りの一枚を見つけた。ボナールの《Montmartre in the rain》(1897年)である。そぼ降る夜の雨の中ではきっとこういうふうに灯りが見えるだろうなあと思わせるとても美しい画。それから、同じく展示されていた印象派の画家カイユボットの作品《View from a Balcony》(1880年)*3を観ていて、はて、これと似たようなのを家で観たことがあるなと思い、帰って手許の絵葉書の束で確認すると小出楢重の《パリ、ソンムラールの宿》(1922年)*4であった。


夜、中央駅からバスでしばらく走り、少し街のはずれといったおもむきの場所にある、今時のおしゃれな雰囲気の漂うレストラン"Cafe Restaurant Amsterdam"(http://www.cradam.nl/)に行った。昔、浄水場だった建物をそのまま再利用しているという。真っ白な壁に大きく取られた窓。天井も高くて気持ちが良い。オランダに着いてからずっと肉ばかり食べていたので野菜か魚を食べたいなと思い、メニュウを眺めるも、ううむ。仕方がないのでガスパッチョとムール貝を頼んだ。ムール貝は一人分にしては大きな鍋ごと給仕されるのでむろん食べ切れない...。こちらの人々は老いも若きも男も女もいつも巨大な肉を食べていて凄いなあと思う。身体が大きいというのもあるのだろうけれど。