しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

『ぽかん』04号、届いた!


そろそろ出掛けようかなと思っていたら、玄関で呼び鈴が鳴った。郵便配達夫が「お届けものです」と言って手渡してくれたのは、有元利夫の絵を手作り封筒にして、美しい記念切手をたくさん貼った、真治彩さんからの荷物だった。わーこれこれ待ってました。急いで封を開けると、林哲夫さんのかっこいいコラージュ(グリフィスの文字が!)をあしらった正方形の本誌と大判の付録「ぼくの百」(福田和美さんの選書、硬派で男前)、桜の花吹雪が春らしい表紙の「のんしゃらん通信」、そして今号にはさらに読者からの感想文を載せた「こないだ」(表紙は別冊『昨日の眺め』の大平高之さん)も入っている。


前号もほんとうにすごいなあと思って感嘆して見ていたけれど、今号はさらに上をいったなあ、というのが最初の感想。こんなにすごいのを作ってしまって次はいったいどうするんだろう...と余計な心配をしてしまうほど。


まだ、全部をじっくり読んではいないけれど、本誌のほうは、小沢信男さんの句からはじまって、その小沢さんの『捨身なひと』について山田稔さんが書き、山田さんの著作を数多く出版している涸沢純平さんがつづき...とすべてが糸でつながっているかのようで、その親密な気圏を目の当たりにしてくらくらしてしまう。蟲文庫田中美穂さんの手紙も木山捷平への長いあいだ培われてきた敬愛の念が伝わってきて美しいし(がらんとした電車の写真もすてき)、岩坂恵子さんの「今も特別な用があるわけでもない外出のとき[...]服も着替え、戸締まりもしたあとで、結局やめてしまうこともある」というくだりに「ああ、わたしも!仲間だわ」と大きく頷いた。


扉野良人さんの新しい連載にも胸を躍らせて、昨年の九月に亡くなられた中川六平さんとのたった一度きりの出逢いを書いた、鹿角優邦「豪快なひと――中川六平さんのこと」を読み、つづけて中川さんの最後の仕事になった『古本の時間』を書いた内堀弘さんの連載にも田村さんや中川さんの名前が出てくるので、一通り読み終わって頁をとじたら、なんだかもう胸がいっぱいで目が霞んできてしまう。あーあ、みんないなくなってしまって。「――いなくなった人たちに」(武田百合子『日日雑記』)という好きな言葉が思い浮かんでは消えた。


こんなふうに本と人――亡くなった人も含めて――とをつなぐのは、読書という行為をめぐる、ある種の夢のかたちといってもいいと思うけれど、そんな夢のようなことを、真治彩という人はいとも易々とやってのけてしまう。しかも、こんなに繊細できれいな手付きで!その編集者としての手腕や直観の鋭さには毎度のことながら驚嘆するばかりです。


『ぽかん』04号(http://pokan00.blogspot.jp/

今日は学校はお休み、窓の外は雨模様。雨の滴りと冷蔵庫の唸る音しか聴こえない室内です。更新がほとんど途絶えており、ここを見てくださっている方も稀かとは思うのですが、海に小石を投げるようにしてこっそり書いてみます。

昨年のことになりますが、TOKYO PUBLISHING HOUSEから刊行されているcrystal cage叢書のフリーペーパーなるものに書評のような文を載せていただきました。専用サイトを作製中だそうで、その出来を待ってからと思っていたのですが、まだのようですので、時期はずれになりますが、もし読んでみたいという方がおられましたら手許の残部をお送りします。01号「河野道代『時の光』を読む」(残1部)05号「わたしも葉書でドナルド・エヴァンズに」(残5部)メールにて送り先をお知らせください。メール:ianthejp*gmail.comまで(*は@になおしてください)

もうまもなく出る予定の、真治彩さん(http://pokan00.blogspot.jp/)の個人誌『ぽかん』04号がたのしみです!

蜘蛛の巣


井口奈己『ニシノユキヒコの恋と冒険』はほんとうに素晴らしすぎて、久しぶりに新作映画を観て昂奮する。あまりによかったのでトークイベントにまでいそいそと参加して、井口監督に直接「ほんっとに素晴らしかったです!」と伝えられたのが嬉しかった。おおらかな雰囲気の監督を前にして、なんだか好きな人に告白するティーンエイジャーみたいな心境になってしまい、伝えたいことが溢れて(「昔、アテネフランセでの金井美恵子さんとのトークにもお邪魔して」「フィルムセンターでも何度もお見かけして」等々)しどろもどろになるという恥ずかしい感じに...。いい年して駄目だなあ。「ニシノユキヒコのモデルに、戦前の日活モダン映画で岡田時彦がモテまくる『彼をめぐる五人の女』(阿部豊、1927年)を参考にしましたか?」などという、思い込みたっぷりのヘンな質問にも丁寧に答えてくださって感激。曰く「さすがにそこまでは遡りませんが、岡田時彦というのはほんとうに素敵な俳優さんで。もし生きていたらキャスティングしたかったかも」。ああ、英パンファンには何という嬉しい一言か。


印象的なシーンはいくつもあったけれど、風を纏って揺らめく蜘蛛の巣が映しだされるシーンに惹きつけられていたところに、ちょうどその時に読んでいた吉増剛造さんの『何処にもない木』(試論社、2006年)という大判の美しい本にも、光と風を纏ってふうわりと広がる無数の水滴をつらねた蜘蛛の巣の写真が載っているのを見つけて「あ、ここにも」と思う。それから、龜鳴屋さんが届けてくれた高祖保随筆集『庭柯のうぐひす』のページをそろそろと繰っていたらこんなくだりを見つけたのだった。

七月二十五日
またして、雨。
ほそい糠あめが、窓にかけた蜘蛛のネツトを舐めて、それに小さい真珠玉をつけていつた。その真珠の網越しに、沼の鈍色が、かぜのふきよせで、曇つたり、明るんだりする。沼のあちらの小亭が、霧の濃淡で、みるみるかげが淡くなつたかと思ふと、――ぱつと近間に寄つたふうにもみえる。
(p.129)


蜘蛛の巣の美しさに惹きつけられる人は、けっこういるものだな。わたしももちろんそのひとりです。


追記(3/15/2014):
東京都美術館で開催中の《世紀の日本画》展で出品されていた、小茂田青樹の《虫魚画巻》(1931年)にも、極細の筆で丹念に描かれた蜘蛛の巣があったので嬉しくなってメモ。白と黒のコントラストもよい。

高祖保随筆集『庭柯のうぐひす』

金沢のすてきな書肆・龜鳴屋さんより、春の訪れとともに高祖保随筆集『庭柯のうぐひす』が届く。まずは、いつもながら丁寧で好ましい造本に感激。緑色の函に入れられ、手にしっくりなじむ小ぶりの丸背本は、本文も緑色で印刷されている。見返しには瀟洒な邸宅に住むブルジョワの美青年とでもいうべき高祖保の写真が添えられ、灰色がかった朧な印象の桜の枝を描いた表紙画も本人によるものだそう。まさに春にぴったりな一冊という感じ。彼の詩的交流が垣間見れる日記を、こんなかたちで読むことができるのが嬉しい。これから少しずつ大切に繙くつもり。そうそう、多喜さんの貼り絵(『若い雲』『禽のゐる五分間写生』)を思わせる、検印紙の愛らしさも特筆しておきます。奥付を見て「わー、可愛い!」と思わず小声で叫んでしまった。こういう神経の行き届いた造本に出くわすと、にやにやしながら表紙を撫でさすってしまいそうになる。
サイトから直接注文できます。

龜鳴屋 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/