しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

ドナルド・エヴァンズを探しに

来月下旬にアムステルダムに行けることになったので、平出隆葉書でドナルド・エヴァンズに*1作品社、2001年)と"Stamps from the World of Donald Evans"(雅陶堂ギャラリー、1984年)とWilly Eisenhart "The World of Donald Evans"(Uitgeverij Bert Bakker, 1980)をいそいそと書棚から取り出してきて、ここのところこの三冊を飽かず眺めている。それから、エヴァンズが好きだった――すべてのものはすでにスタインによって書かれている、とまで言った――というガートルード・スタインの『やさしい釦』(書肆山田、1984年)も一緒に。1914年にはじめてかの女の"Tender Buttons"を出版したのは同姓同名の詩人ドナルド・エヴァンズであったというのは、わたしのお気に入りのエピソードのひとつである。


Willy Eisenhartの本は昨年だったかにようやく見つけて喜び勇んで買ったのに、エヴァンズの創造した架空の国の切手を眺めているだけで満足してしまい、未だまともにテキストを読んでいなかったのだった。ドナルド・エヴァンズの友人だったWilly Eisenhartの文章は、遅れてきたわたしたちに31歳という若さで亡くなった画家の遺したさまざまな星片を掌をひらいてこちらに見せてくれる。それらは別に取りたてて知っておくほどのものではない事柄なのかも知れないけれど、そのささやかさゆえにかえって熱を込めて知りたいと思わせるたぐいのものだ。例えば、1972年にアムステルダムに渡ったエヴァンズはその年の12月に一度ニューヨークへ生活資金を得るために引き返していて、1973年の夏に(ちょうど私の生まれた季節)ふたたびアムステルダムの地を踏んだ、だとか、イタリアを旅行してからすっかりパスタが気に入って、中でもフェットチーネが好物だった、とか、イタリア料理好きが高じて屋根裏部屋のたぶんヴェランダに置いたプランターで切らすことのないようバジルを育てていた、とか、Ytekeの居たネーデルランド・ダンス・テアトル近くのインドネシア料理レストラン"Soeboer"で「鯖のしっぽ」をビールと一緒に食すのが好きだった、とか、好きな花はMexican Poppyで、動物ではペンギンが好きだった、とか、好きな数字は「5」だった、とかね。


Willyのこの本を読んでいて、文中に"exotic"という言葉をよく見かけたからか、ふと、エキゾチシズムを愛したという点で、エヴァンズと澁澤龍彦は同じ国に住んでいる人々なのではないかな、と思い巡らす。スタインの『やさしい釦』には何度も「日本」という言葉が出てくるけれど、エヴァンズは作品の中で「日本」を描くことはなかった。エヴァンズは日本のことをどう思っていたのだろうか。


『やさしい釦』の中に「必要なのは一つのカタログである」という言葉が出てくる。エヴァンズが生涯まるで図書館員のごとく熱心に取り組んだ緻密な目録『世界のカタログ』はここから来ているのかな。それから「分別くさいベール、その上黒衣を着た未亡人」は、エヴァンズがアムステルダムで見つけたという「黒い服に身をつつんだ白髪の老婦人の肖像写真」(『葉書でドナルド・エヴァンズに』1985.12.15の日付)にすっかり重ねあわせられ、「日本語のなかにも破損はあり得ます」には、澁澤龍彦平出隆に向かって「きみの言葉は壊れていられますね。どうしてなのかな?」と質問した(via wwalnuts03『澁澤龍彦 夢のかたち II』*2)というくだりを思い出してしまう。久しぶりに読む『やさしい釦』にはいろいろな気づきがあって、再読の愉しみを味わった。


わたしはどれだけドナルド・エヴァンズの痕跡を辿ることができるだろうか?