しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


モダン都市・名古屋とその周辺



昨年末から楽しみにしていた"Donogo-o-Tonka"『ドノゴトンカ』0号(創刊準備号)(りいぶる・とふん、2008年)をとある方のご好意でいち早く手に入れてからというもの、またしても西のモダニズムがにわかに気になり出して、居ても立ってもいられないという感じにそわそわしている昨今。本当は、宇沢美子『ハシムラ東郷 イエローフェイスのアメリカ異人伝』(東京大学出版会、2008年 ISBN:9784130830508*1についても、詳しく書きたいのだけれど、なかなかまとまった時間が取れずにいる。



西のモダニズム、と一口に言っても色々あるけれど、今はいっとう名古屋のモダニズムが気になっている。内堀弘さんの『ボン書店の幻』を読んだ時にもそう思ったのだけれども、1920年代から30年代にかけての名古屋にはモダニズムの磁場があったのだろうか。十代の頃から同人誌『青騎士』に詩を投稿し、のちにブルトンやエリュアールとも交遊して、シュルレアリスムを日本の芸術に紹介した立役者の一人である山中散生(Tiroux YAMANAKA)*2や、安西冬衛飯島正、神原泰、北川冬彦、近藤東、竹中郁ら錚々たる面子が集まって創刊した『詩と詩論』(厚生閣書店、1928年〜1931年)を主宰し、いきの良いレスプリ・ヌーヴォーの風を詩壇に持ち込んだ春山行夫。わたしのように門外漢でいきなりこの辺りの本を何冊か読み齧ってみるだけでも、ことモダニズム詩に関しては「名古屋」という地が何か特別な場所として浮き上がってみえてくる。

青騎士の出現は、カボチャの種子から突然にユリが咲いたというような奇蹟ではなかった。その時代の名古屋にはほかにいくつかの詩人のグループや雑誌があったし、洋画では「サンサシオン」(故松下春雄、鬼頭鍋三郎その他)のグループが生れ、若々しい芸術のエネルギーは渦巻いていた。それは名古屋の青春が自ら生み出したオリジナルな時代感覚で、よそからの影響が一時的に通りすぎていったというような現象ではなかった。それは青年たちをなんとなく芸術家にしてしまうような奇妙なClimaで、名古屋という都市そのものも、必要な程度の古さと調和した近代性で、その町の若い芸術家にgenuineな(ある点でやりきれないほど律儀な)根性を与えていたように思われる。(中略)その頃、名古屋でのように、若い詩人や画家がいっぺんにたくさん現われた地方都市はほかになかった。
(杉浦盛雄『名古屋地方詩史』より春山行夫の序文)

とりわけ、1929年に二十三歳の山中散生が創刊した名古屋発シュルレアリスムの詩誌『Cine』(1929年〜1930年)が気になっている。あのサルバドール・ダリからも小さなデッサンがこの詩誌のために三枚贈られたという。刊行時はその名も示す通り映画中心のモダニズム雑誌であったそう。だから、目次を見ると、山中散生によってバスター・キートンが論じられていたりもするし、カール・ドライヤー裁かるるジャンヌ』の映画評が掲載されていたりもする。同人に西脇順三郎の従兄弟・横部得三郎の他に、井口正夫、橋本義郎、亀山巌、折戸彫夫ら名古屋の詩人たちが集まった。また、稲垣足穂春山行夫北園克衛冨士原清一上田敏雄、瀧口修造らが寄稿している。発売所は紀伊國屋書店。『GGPG(ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム)』を覆刻した(さっそく閲覧したけれど凄かった!)不二出版かゆまに書房か柏書房あたりで『Cine』を覆刻してくれないものでしょうか。



それから、名古屋が気になるもうひとつの理由は、ナゴヤ・フォトアバンガルドの存在である。といっても、これも飯沢耕太郎『都市の視線 日本の写真1920-30年代』(平凡社ライブラリー)を以前読み齧ったことがあるだけで詳しいことはよく知らなかったのだけれども、1934年にその前身のなごや・ふぉと・ぐるっぺに所属していたメンバーの中に、かの山中散生が居た!ということを、今回はじめて認識したのだった。その後、北園克衛主宰の『VOU』の一員だった山本悍右も加わって、1939年になごや・ふぉと・ぐるっぺはナゴヤ・フォトアバンガルドに発展した。もっとも、1940年には「神戸詩人事件」が起き、1941年には瀧口修造が検挙されるなど、シュルレアリスムアヴァンギャルド芸術に残された時間はもうほとんどなかったのだけれども。



そんなわたしに朗報(?)という感じのタイミングで愛知県図書館にて開催されている企画展「1920〜30年代 愛知の詩人たち 」(http://www.aichi-pref-library.jp/f_event.html)は気になります。上で挙げた『Cine』も展示されるし、これは交通費をかけても見てみたいなあ.....2/25までですって。あと、講演者の木下信三さんが所属する名古屋近代文学史研究会の会報誌も気になる。目次を見ると「春山行夫ノート」「山中散生ノート」「佐藤一英著作目録」「カフエ・パウリスタ消息」、詩誌『機械座』や『ウルトラ』について書かれたものや、おまけに「北尾鐐之助について」なんていうものまである、ワオ!である。残念なことに、うちの図書館には所蔵がないんだよなあ、これもいつかぜひまとめて眺めてみたい。


*1:今からおよそ100年前、めりけんじゃっぷ・谷譲次「ヤング東郷」のモデルともなった「ハシムラ東郷」という名の、白人作家が造り上げた架空の日本人学僕が全米の新聞・雑誌のコラムを席巻したのだそう。東郷の人気は物凄く、のちにハリウッドで早川雪洲主演で映画化もされた。その映画には、何と俳優時代のトーマス・栗原も出演しているのだそう!トーマス・栗原といえば、もちろん英パンこと岡田時彦のデビュー作『アマチュア倶楽部』(1921年)の監督なので、極私的にわーとなる.....と、この話になるといつまでも続くので閑話。

*2:1938年にパリで刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』にはYの項に「山中散生(YAMANAKA, Tiroux)日本のシュルレアリスムの推進者。シュルレアリスムの詩人、作家」として紹介されているという。