しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

方法はいろいろでも、一見つじつまがあわないようでも、それは、未知の幾何学のように、揺るぎない論理にしたがっている。それは、直感では理解できても、合理的な順序で表現したり、理由づけをすることは不可能な、なにか、だった。彼は思った。ものにはそれ自体の秩序があって、偶然に起こることなど、なにもない。では、偶然とは、いったいなにか。ほかでもない、それは、存在するものたちを、目に見えないところで繋げている真の関係を、われわれが、見つけ得ないでいることなのだ。(アントニオ・タブッキ著/須賀敦子訳『遠い水平線』白水社、1991年)

ジュリアン・グラック『ひとつの町のかたち』を読む

お正月休みに、ジュリアン・グラック『ひとつの町のかたち』(書肆心水、2004年)を読んだ。

北村太郎がじしんのことを「街っ子」と呼んでいたように、わたしもまたじぶんを「街っ子」であると思っている。帯文の「少年と町」というのはわたしの好物であるのに、何度か書店で手に取りながらも今まで見送られたのは、ナントという町にあまりなじみがなかったせいなのか。

グラックのこの本は、だいぶ遅れてしまったけれど、わたしの目の前にとうとうやってきた。まだ見ぬナントの町の地図を眺めてから目次を見て、あまりに好みの言葉が並ぶのでおどろいた。これは、たぶんわたしの本だな、と直感した。「路面電車」「名所ぎらい」「川辺と港」...お、わかる、「名所ぎらい」わかる、いいな。これは好きだな。「寄宿舎での集団散歩」などという文字を見つけて、偏愛してやまないジャン・ヴィゴの『新学期・操行ゼロ』を思い起こしていたら、ちゃんと本文の終りのほうにヴィゴの名が出てくるので、『操行ゼロ』の少年たち(というか悪ガキ)が枕投げをして羽毛が舞い上がる美しいシーンがすぐさま想起され、さらに大好きなジャン・ルノワール『のらくら兵』の原作者まで登場するので、あの映画『のらくら兵』の、黒のベタ塗に白文字で書かれたなんともユーモラスな漫画めいたタイトルバックを思い起こして、読みながらさっそくにんまりしてしまう。

グラックの立ち位置は極めて微妙なものだ。
おそらく時代にもよるのだろうが、ベンヤミンのベルリンの幼年時代におけるささやかなディテールにみちた親密さや豊かさ、あるいは、プルーストの精緻な言葉が紡ぎだす過去への郷愁からは、やや距離を置いているように思われる。著者はパサージュにはさほど心動かされなかったとも書いている。「......予備知識を持たない訪問者たちをごく自然に夢に誘うポムレ・パサージュは、とりとめのない町の散策を通して私のなかに生まれつつあった、半ば夢見られ半ば住まわれた想像の景色の調和のなかで、それほどの位置を占めなかった」(p.105)本文中にベンヤミンの文字はない。

冒頭に「過去と出会って自己陶酔に浸り直すためではなく、私がそれらの街並みを介してなったものと、街並みが私を介してなったものとに出会うために」(p.22)とあるように、少年時代の回想を綴りながらも、著者の眼は意外なほどさめている。文学愛好者にとっては、ややうっとり不足といえばそうだが、この冷徹な町へのまなざしの先には、著者が地理学者だということもあるのだろう。この微妙な立ち位置が都会的というか、傍観者的というか、ややひねくれているというか(シモーヌ・ヴェイユにもグラックは懐疑の目を向ける)、都市におけるアノニマスな存在としての人間を感じさせるのが、わたしは好きだった。なにしろ、少年時代を回想していても、家族や友人を含め、個人的な人とのかかわりはほとんど出てこないのだから。とはいえ、郊外への遠出の散歩の様子が描かれた第4章は、少年時代の黄金色の時間を思わせて美しい。金雀枝やミモザ、ヒースといった植物に小説の中で出会う嬉しさ。太陽と鳥たちと蜜蜂。日曜日の香り。草上の昼食、ピクニック、川面を飛沫でさざめかせる春の驟雨。だんだん本文の言葉以外の想像が入り込んでゆく。ラ・コリニエール、と口遊むようにして唱えてみる――。

読後感は、どこから読んでいるのか、読み終えたのかもよくわからなくなるところが、ゼーバルトに少し似ていると感じた。もっとも、あんなふうに生真面目に歴史の痕跡を幻視するところはないけれど。まるで気ままな散歩のように、あちらこちらへ道草しながら、過去と現在、回想と思索がさまざまに織りあわされてゆく。この抑制の効いた絶妙なさじ加減。しかし、一見気ままに見える散歩には、じつは彼なりの秩序があるようだ。ここでもグラックはボードレールの気ままな「遊歩」からは彼なりの距離を置き、歩く場所や時間が自分の自由にならない「歩行」のほうが町からの働きかけが多いといって、こちらを採るのである。黄昏と憂鬱のボードレリアンを気取るには、あまりに時代が進んでしまったということか。

著作がジョゼ・コルティ社から出ているというのも、瀧口修造ファンにとっては嬉しいことだった。処女作はガリマール社に断られてから持ち込まれたジョゼ・コルティ社で出版され、その後ずっと同社で出版されたというのもいい話だし、にもかかわらず、ジョゼ・コルティが遺言でガリマールからの全集出版を許可したというのもいい。

年初に「わたしの本」と出会えたことがしんそこ嬉しい。豊崎光一のあだな「暗鬱な美青年」はグラックの小説から来ているのかな。

札幌のテンポラリースペースというギャラリーで、12月9日から開催される吉増剛造展のタイトルが「水機ヲル日、...」となっているのに気づく。それで、7月末に早稲田で見せていただいた大判の原稿の束のことを「水をくぐって染められた糸で織られた「機織りもの」のような気がしてきました」と手紙に書いてお送りしたことを思い出した。昔の「機織り」の話からはじまる、吉増さんのお母様が書いた『ふっさっ子剛造』(矢立出版)を偶然に読んでいたから、きっとそんなことを書いたのだ。お母様の語り口がほんとうに魅惑的で、すっと引き込まれた本。

夜、amazonから届いた『詩の練習』13号を読む。「シンカンセンニナンカ乗ルモノカ......」という幼児の怒りの小聲に耳を澄ます。

ジョナス・メカス『幸せな人生からの拾遺集』

UPLINKにて、ジョナス・メカスの『幸せな人生からの拾遺集』(68分/2012年)を観た。サイトに掲載されていた短い紹介文を読んで、これはわたしの映画だ、とすぐさま確信したから。

原題を『Outtakes from the life of a happy man』とするこの作品は、皆が眠ったあとの街でメカス(a happy man)がかつて撮った映像と向き合いはじめる物語。今はいない人たちや思い出、それでも手元に残るイメージについて 。

果たして、期待に違わず、ささやかなホーム・ムーヴィといった感じの親密で可憐な映画だった。記憶の——しかし、メカスは「これらは記憶ではない」「記憶なんてどうだっていい」といってのけるのだけれど!——引き出しのいちばん奥にしまっておいた、とっておきの親密な映像の断片を、みずからの手で楽しみながらカタカタカタ...とリールを回してたんねんに繋ぎ合わせてつくられたような作品。さらにすてきなのは、この映画がダイアンという名の15歳の少女から来た手紙を元につくられていることだ。メカスのモノローグ以外のテキストは、かの女の手紙からの引用だそう。16mmフィルム特有の質感、ものみなに降りそそぐ柔らかな卵色の光と多重露光のイメージ、そこに少女の手紙の一節がかさなって...。ふと、人生の最後に脳裡に浮かぶ走馬燈のようなイメージがあるとすれば、このようなものなのかも知れないな、と思う。エイジ・オヴ・イノセンス、という言葉も思い浮かぶ。この前観たばかりの、ジョゼフ・コーネル『フラッシング・メドウズ』に良く似たショットもあった。そういえば、コーネルとメカスはどこか似通っている。

ジョゼフ・コーネル『フラッシング・メドウズ』

フィルムセンターにて、ジョゼフ・コーネルの短編映画『フラッシング・メドウズ』(8分/16mm/1965年)を観たので、忘れないうちに映像の記憶を書かねば、と思いつつも、こんなにあいだがあいてしまった。記憶が薄らいでしまう前に、走り書きしておいたメモを書きとめておきたい。

蒼空に鳥のシルエット、羽搏く鳥たちを追うカメラ、また蒼空。秋の午後の陽光が低く射し込む墓場。光を吸い込んで白っぽく見える墓石、さまざまな色彩の諧調を見せる落葉樹の葉。白い石像のクローズアップ、蒼空と陽光が反射して青みがかっている。蒼空と石像の白の組み合わせは、何となくマグリットの絵画のようでもある。白い雲に、また蒼い空。ある墓石にクローズアップすると、そこに"Mauriac"という名前が刻まれている。噴水池の水面にうつる空、木々。微風がおこす縮緬のようなさざ波。水面にゆれる睡蓮。風に揺れる紅い薔薇、うす桃色の薔薇、薔薇の園。木漏れ日がきらめく。そばかすをつけた大輪の鬼百合のクローズアップ。午後の光にあたたまった鋪道に、子どもたちが墨色の影を伸ばして歩く。セーラー服を着た少女と三歳くらいのよちよち歩きの女の子。小さなカートを引く母親と子ども。きれいなものしか写さないコーネルの美学がそこここに溢れていた。

白倉敬彦さん

白倉敬彦さんが亡くなられたとのこと。先月、ブログに「白倉敬彦 逝去」で検索してきた人がいて、おかしいな、と思っていたのだけれど、Wikipediaにも何も書かれていなかったので、きっと誤報だろうと思っていた。ひと月も前に亡くなられていたのだ。笠間書院のブログでそのことを知った。

昨日、東京国立近代美術館で《菱田春草展》を観た帰りに、2階の小展示《美術と印刷物―1960-70年代を中心に》も覗いてきて、エディシオン・エパーヴは、そうか、わたしの生まれた年に設立されたのだな、とあらためて確認したところだった。展示されていた清水徹の添え書きの色もレモンイエローだったことを確認して、これはきっと『瀧口修造の詩的実験』の添え書きから来ているのだな、と考えたりした。エパーヴの『これは本ではない』がわたしの誕生日に刊行されているのも勝手に嬉しくてそんな些細なことも気に掛かった。白倉さんが綴った『夢の漂流物』(みすず書房)には心底引き込まれた。ひといきに読んで感嘆のため息とともに本を閉じた。瀧口修造という精神的な父を据え、長男・宮川淳、次男・豊崎光一、三男・白倉敬彦という疑似家族を形成していた70年代の奇跡のような「透明な気圏」を眺めてみたかったとつくづく思った。これで瀧口を巡る「透明な気圏」を象っていた三星はみな消えてしまった。その最後の星である白倉敬彦さんには、いつかエパーヴについてお話を伺いたいと思っていたのに。

本の雑誌』はいつも近所の図書館か勤務先の図書館で立ち読みするくらいで買ったことはなかったのだけれど、今回の特集が「リトル・マガジンの秋!」というので、はじめて買って読む。最初のほうのページに掲載されている内堀弘さんの「リトルプレス・紀伊國屋書店・真夏の京都」をちらっと立ち読んだら、すてきな書影がたくさん載っていて「これはやっぱり買うか」となったのだ。池田時雄の出していた『ボヘミアン』という雑誌は、以前『新領土』の詩人について調べていたときに、「こんなのもありますよ」と内堀さんに教えていただいて、国会図書館でバックナンバーを通覧したことがある。書庫から出してもらったそれは、雑誌と呼ぶには驚くほどささやかなワープロの手作り小冊子だったが、夭折してしまった西崎晋やニューギニアで戦死した酒井正平の特集などもあり、モダニズムの時代を通過してきた詩人たちの生の声が伝わってくる貴重なものだった。

リトル・マガジンカタログでは、坪内祐三さんが『BOOK 5』『雲遊天下』とともに真治彩さんの『ぽかん』を選んでおられて嬉しかった。SUNNY BOY BOOKSの高橋和也さんは『ヒロイヨミ』『北と南』『アフンルパル通信』を選んでいて、3冊ともわたしにとってもなじみ深いリトル・マガジンだったので、これまた作っている人の顔を思い浮かべてにんまり。『talking about』『純粋個人雑誌 趣味と実益』『modern juice』も読んでいる。Lilmagの野中モモさんのエッセイにもにんまり。巻末の内堀さんのプロフィール欄に2014年のマイブームとして、3位に『ぽかん』が入っていてふたたび嬉しくなったが、2位に思いがけず「アパートメント食堂・なか川」が入っているのを見つけて、なぜか「あ!」と声を上げて笑ってしまった。いや、「アパートメント食堂・なか川」はいいお店ですけどね。最近行ってないけど。

今日は他に、書店の棚でぴかぴかに光り輝いていた『アイデア』367号(特集:日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律)も一緒に買ってきたけれど、ページを開く前からひしひしと凄みが伝わってくるので、勿体なくて、というか、怖くてまだ開いていない。これは正座して読まねばならない一冊になることでしょう。