しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

石原輝雄『三條廣道辺り 戦前京都の詩人たち』(銀紙書房、2011年)


マン・レイ・イスト氏こと石原輝雄さん(id:manrayist)より上梓されたばかりの本を一冊分けていただいた。前々から出来を愉しみに待っていた一冊である。正式な発売日はまだにもかかわらず、早めに送っていただき感謝いたします。


未知の人物、中西武夫によるスクラップ・ブックとの偶然の出逢い。そこに貼られた一通の手紙から物語ははじまる――。


『青樹』につどった戦前京都の詩人たちのことは、気にかかりつつも、ほとんど断片的な知識(竹中郁、福原清、天野隆一や山村順が執筆していた、くらいのもの)しかこれまで持ち合わせていなかった。この本を読むことで、彼らの戦前のいとなみがわたしの中で朧であれ象られてきたことはありがたいことであった。水色とうす紫色の墨流しの表紙が風雅な、俵青芽『夜虹』(青樹社、1933年)にはマン・レイによるレイヨグラフが三葉挿入されている。日本におけるマン・レイの受容史に関心を持つ著者はその経緯の謎を解くために「時間旅行」に出掛ける。


マン・レイが教えて欲しいと望んでいる事柄としか思えない。不思議な人と書物の繋がりだ」と偶然を必然に転化させ調査に専心してゆくくだりは、わたしもそういう不可解な熱情に駆られて調べものをはじめることが多いので、わかるわかると頷きながら読んだ。


個人的な好みとしては、引用された俵青芽の詩篇にはさほど惹かれるものはない(失礼!)し、春山行夫の指摘するように、京都の詩人たちはどうも「リリスムが過ぎる」きらいがあるような印象を持ったのだけれども、本文中に紹介されている、郁さんの序のついた天野隆一『紫外線』(1932年)や桑原圭介の出していた『手紙』(1934年9月)など、いつかいつか現物の頁を繰ってみたいなあと著者に羨望のまなざし。紫、白、菫の帯が走る『紫外線』の装幀はさぞやモダンで美しいだろうと想像する。それに、「ひとで」で思い出したけれど、神戸の詩誌『海盤車』も閲覧は困難だけれどもやっぱり一度は眺めてみたい――。


第三部はおもに名古屋のシュルレアリストたちに焦点があたっている。木下信三が主宰する『名古屋近代文学史研究』は目次を見ているだけでとても興味深く、いつかまとめて閲覧したいと思っている資料のひとつだ。著者が展示の様子を写真入りで紹介してくれているけれど、2009年2月の愛知県立図書館の展示「1920〜30年代愛知の詩人たち」はやはり行っておくべきであった、と今さらながら後悔。プレス・ビブリオマーヌから刊行されている山中散生詩集『夜の噴水』(id:el-sur:20090717)ははじめて現物を図書館で借り出した時に何て美しい本なのだろうと思ったことを思い出す。天金にドヌーヴのような美しい女性の肖像画を表紙にしたフランス装、確か題字は金の箔押しであったと思う。久しぶりに本の中で再会できたことも嬉しかった。


1952年生まれの著者は、もう話を聞くことが叶わない山本悍右や、佐々木桔梗、鳥居昌三、山中散生、ジョン・ソルト*1などとじっさいに往来があった。彼らから見聞きしたことや手紙のやり取り、それを踏まえた著者の言葉はそれだけで貴重な記録となっている。


読みながら、昨年、世田谷美術館で開催された《橋本平八と北園克衛展》での、ジョン・ソルトの講演を思い出した。「日本にはシュルレアリスムはなかったと言われますが、そんなことはありません」というような主旨のことをどこかで言っていたような記憶がある。彼はきっと山本悍右や鳥居昌三や下郷羊雄や山中散生のことを思い浮かべて喋っていたのだ、と本書を読んで彼らの親密な行き来(じっさいに会う機会は少なかったとしても)を知った今なら、間違いなくそう思う。


ふと、天野隆一の娘さんが、安西冬衛『軍艦茉莉』にちなんで「茉莉」と名づけられたというのをどこかで読んだことを思い出した。安西冬衛の全集だったかな。


限定75部のそれぞれに四種類の山本悍右の作品が貼り込まれており、丁寧な糸綴じで製本された書物は、造本・装幀・印刷まですべて著者によって手掛けられた、まさに「著者渾身の240頁」である。細やかな神経がすみずみまで行き届いており、手に嬉しく目にも嬉しい。

*1:ソルトさん一人はまだご活躍だけれど