しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


透明な巨人:瀧口修造おぼえがき


もうすぐ11月も終わり、真っ青な高い空にくっきり映える黄金色の銀杏が眩しい並木道を歩く日々もまもなく終わり。


必要があって*1瀧口修造関連の本をその予習として読んでいるのだけれども、戦前から唯一シュルレアリスム詩人としての立場を貫き通したこの瀧口修造という類いまれなる人の、優しさと穏やかさに包まれたはがねのような強靭さとそこから生まれる厳格な美とに様々な人のことばを通じて触れることとなり、あらためて感嘆しているところ。瀧口修造の他に誰が「芸術は自己撞着である、生そのものも同じ」なんていう、芸術家の甘えを排するかのように本質を射抜く鋭利なことばをを放つことができるだろうか?


武満徹は「私がこれまでの生涯で出遭った多くのひとのなかでも、もっとも美しいひとであった」と言い、花田清輝は「ああ、なんという愛すべき、うつくしい人物だろう。つつましやかで、ものしずかで、まるでお嬢さんのようだ」と語り、金井美恵子は「作品をつくってしまうことを潔癖に拒否しつづけている(中略)永遠に初々しい存在」と述べてしまう、瀧口修造とはいったい何者なのか?


先月のはじめ、神保町の老舗の古書店店主であるOさんとお話させていただく機会があり、ふとOさんの口から「瀧口修造さんに会ったことありますか?ないでしょう?」と一息に、それから、やや物思いにふけるかのように、言葉をそこで一瞬つぐまれてから、「もう本当に、何とも言えず素敵な人だったんですから」とため息まじりにおっしゃるのを聞いたのだった。その「何とも言えず素敵な人」という言葉が、『コレクション瀧口修造 別巻』に収められた「瀧口修造研究」にて、様々な人が語る瀧口修造その人を読みながら甦ってきた。


尾崎翠のことを「わたしのミューズ」と言ったから、花田清輝はもう長いこと私の味方(?)で、とりわけ『アヴァンギャルド芸術』と『さちゅりこん』はこれを買った当時に驚嘆しながら読んだはずなのに、『さちゅりこん』に収められていた、この瀧口修造を巡る優れた書きもの「コロンブスのタマゴ」のことは、今回再読するまですっかり忘れていたというのか、きちんと読んでいなかったのか、読んでいても当時は理解できなかったのか、そのどれかだが、それはさておき、この評論は澁澤龍彦も褒めている*2ように、まことに素晴らしい。


「どんな圧力にも屈しないで、昭和初年以来ジリジリと前進しつづけている。(中略)昭和初年、モダーニストとして出発した連中のなかで、現在、瀧口修造のように前進しつづけているひとがあったら、ぜひ教えてくれたまえ。七十五人で船出をしたが、生き残ったのはただ一人、というのでなければ幸いだなア。」(「コロンブスのタマゴ」)


「昭和初年、モダーニストとして出発した連中」という記述に、わたしは何人もの当時モダニズム詩人と呼ばれていた人々と戦争により息の根を止められ、戦後、跡形もなく消えてしまったモダニズム文化のきらめきとを思い出す。そして「どんな圧力にも屈しないで」「前進しつづけ」たというのは、確かに、瀧口修造だけかもしれないな、と思う。戦前の仕事である『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』(思潮社)が世に出たのも、1967年になってからだったということからも判るとおり、金井美恵子の言うところの「断片」を「書物」として残すことを頑に拒絶しつづけた人が瀧口修造という人であった。オートマティスムの手法を使って書かれた詩が多いことも、「書物」として残すことに躊躇を強いたひとつの要因になっているのかもしれないが、それくらい自分に厳しい人だったのだと思う。


瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』に添付されている、レモン・イエローの紙に印刷された「添え書き」*3には、この処女詩集がようやく編纂されるまでの長い道のりが示されており、それを読むだけでも、この類いまれなる詩人の作品の「断片」を世に出すという試みを果たそうとしてついに果たせなかった人々の熱意に胸を打たれる。1930年頃にはボン書店の鳥羽茂が、戦後になりあの渋谷・中村書店の中村三千夫が、そして、書肆ユリイカ伊達得夫が、それぞれ戦前から戦後へと詩の世界に鮮やかな軌跡を残した(というより、裏方で支えたと言ったほうがしっくりくるだろうか?)人々が、この瀧口修造の処女詩集に深いおもいを抱いていたのだ、ということを知って、ますますこの透明な巨人が尊い存在なのではないかということ考える。


あと、これは個人的に快哉を叫んでしまったのだけれども、大岡信武満徹岡田隆彦による座談会のなかで、


「いまでも覚えているのは、ファンタジックとぼくが書いたら、それは日本語で非常に恥かしい日本語である。これはファンタスティックしかないので.....と由来まで説明してくれた。」(岡田隆彦


という発言を見つけて、さすがは瀧口修造!と大いに溜飲が下がる、とか書いてしまう、わたしの中の封印すべき黒い星。ええ、ファンタジックは「非常に恥かしい日本語」なのですよ!

*1:11/28、アトリエ空中線10周年記念展「インディペンデント・プレスの展開」ギャラリートーク/瀧口修造と『地球創造説』『稲妻捕り』「草子」「煌文庫」(山田耕一(書肆山田 創設者)・間奈美子・郡淳一郎)があるのです。 

*2:およそ瀧口氏とは正反対のタイプの人物からなされた、このすぐれた批評文は、短いながら、瀧口氏の存在をいたずらに神格化したり伝説化したりすることなく、氏の過去から現在にいたる、戦中戦後の日本の前衛芸術運動において果たした本質的役割を、みごとに捉えていたように思う。

*3:追記:今日、ふと春山行夫『詩人の手帖』を読んでいたら、ボン書店から刊行される予定だった「生キタ詩人叢書」の中の一冊、瀧口修造の『テクスト・シュルレアリスト』の題名の背景部分の色はレモン・イエローが予定されていたという。その未刊の本の表紙だけが春山行夫の手元に残っているという記述を発見して、そうか「添え書き」の鮮やかなレモン・イエローの紙にはちゃんと意味があったのだ。これはきっと瀧口修造による、戦前にはじめて詩集の出版を計画したボン書店・鳥羽茂への心遣いだったのだと思う。