読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


「神戸詩人事件」とその周辺:
足立巻一『親友記』(新潮社、1984年)*1



「神戸詩人事件」についても書きたい、とか何とかいばってはみたものの、わたしは「神戸詩人事件」について、ほとんど何も知らないのだった。唯一、わたしの教科書であるところの、中野嘉一『前衛詩運動史の研究 モダニズム詩の系譜』(沖積舎、2003年)で小林武雄の書いた「神戸詩人事件」の記録が掲載されているのを読み齧ったことがあるくらいだ。



「一種独特のマルクス主義芸術運動」として検挙対象とされ弾圧を受けることとなった「リアン浅間事件」については、同著者の『モダニズム詩の時代』(宝文館出版、1986年)にも詳細が書かれていたと記憶しているし、当時は『リアン』の同人(と言っても彼はすぐ脱退して春山行夫の『詩と詩論』へ移ってしまったが)渡邊修三(自転車に乗って蜜蜂の箱を巡視するという青年詩人!)の詩集『エスタの町』における、まるでフェルナンド・ペソアよろしく、何処かのようでいて何処でもない場所への旅のスナップ・ショットを明度の高い色彩でもって結晶化させたような短詩の持つモダニズムの輝きに震撼していたので、渡邊修三に引っぱられるかたちで「リアン浅間事件」についてはふーんと読んでいたけれど、同時期に起こった「神戸詩人事件」については後回しになってしまっていた。



季村敏夫『山上の蜘蛛』を読んで、あの竹中郁の素晴らしい評伝(いつ読んでも鼻の奥がつんとする)を書いた足立巻一の『親友記』を未読だったことを今更ながら悔いた。『親友記』はもう何ヶ月も前に地下の書庫でパラパラと立ち読みしたというのに、その時は何故かそのまま書架に戻してしまっていたのだった。そうか、『親友記』では「神戸詩人事件」のことに触れられていたのか.........!毎度のことではあるけれど、わたしの場合は何ごともひどく遅過ぎる、ため息である。



という訳で、この事実を知ってしまった以上、こうしては居られない!とまたしても半ば強迫観念でもって、日曜日に足立巻一『親友記』を一気に読んでしまう。足立巻一少年が京都の新京極でマキノの『浪人街』(助監督は山中貞雄だ!)を観た時のこと、「モン・パリ」「君恋し」「ザッツ・オーケー」などいつも流行歌ばかり唄っているお調子者で一鶴と呼ばれた俳句好きの少年のこと、築地小劇場や村山知義の左翼劇場を知り新劇に熱を上げはじめたこと、いつもこっそりプロ雑誌を渡してくれる上筒井駅近くの古本屋のぼんさんのこと.......。どのエピソードからも少年たちの弾けるような1920年〜30年代の青春群像が立ちのぼってくる。



とりわけ印象的なのは、仲間内でいち早くモダニズムの洗礼を受け『詩と詩論』をいつも小脇に抱え、旧居留地の証券会社に勤めていた白面の美青年・亜騎保*2の登場と、その亜騎保や岬絃三らが不当逮捕され、治安維持法違反により実刑判決を受けた昭和一五年三月三日の「神戸詩人事件」へとなだれ込むくだりだ。内務省警保局が発行していた昭和十五年の年報『社会運動の状況』において「共産主義につながる破壊活動」として検挙対象と見なされた中に「神戸詩人クラブ」があったという。でっち上げとしか言い様がない当時の記録を読むと、文化がまさに権力によって窒息させられるのを目の当たりにしたような暗澹たる気持ちになる。武田百合子なら「墨を飲んだような気持ち」とでも言うだろうか。その翌年の昭和十六年にはシュールレアリスト・瀧口修造や福沢一郎も検挙されるという事態になった。亜騎保が当局に没収されついに返ってこなかった本の中には、揃いの『詩と詩論』や竹中郁『一匙の雲』春山行夫『シルク&ミルク』(いずれもボン書店)があったという。

*1:ISBN:4103394048

*2:亜騎保の詩はダダ的?な雰囲気の「レモン畑の意地悪」の一部を読んだことがあるくらいだったが、この言語感覚にはっとした覚えがある。この詩人についてもっと知りたいと思う。季村さんの『ドノゴトンカ』における連載が楽しみです。