しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


海野弘久生十蘭『魔都』『十字街』解読』(右文書院、2008年)*1



久生十蘭の都市小説『魔都』と『十字街』を読み解きながら「東京とパリの1930年代を旅する」という本。海野弘は都市論を書く時しばしばそうなのだけれども、自らが都市漫歩者となってその時代のその地に降り立ってモダンシティを旅してしまうので、結果として脱線・逡巡・迂回を繰り返すことになる場合が多く、この本ではその傾向が顕著とも言えるほどの鮮やかな(!)逸脱ぶりで、あとがきで「評伝でも作品論でもなくなってしまい、自分でもこれがなんなのかわからない」とあるのも納得するくらいに、博覧強記ぶりを存分に反映した様々な書物を参照にした独自の「読み」があちらこちらで楽しげな想像を生み出している。



調べ始めるとどんどん面白くなってあちこちに気の向くままに逸脱して気が付くと随分とスタート地点から遠い所に来てしまうというのは、ひょんな所から興味深いものが偶然に転がり出てきて、それが芋づる式に繋がってゆく読書の愉しみにそのまま当て嵌まるので「あ、わかる、わかる」と思いながら何だか可笑しくなってしまう。何より著者にして漫歩者がとても嬉しそうに『魔都』と『十字街』のモダン都市東京・パリを歩き回っている様子が読み手に伝わって来る。



海野先生はこの本の中で『魔都』の登場人物たちのモデルは誰かと一人一人推測しているのだけれども、本文中で言及していない人物「村雲笑子」についての描写を読んで「ああ、これは」と思ったのでメモ。



「古市加十が人波に押されながらコロンバンの前までやって来ると、八雲町の交番のほうから燃えたつような夜会服(ソワレ)の裾をヒラヒラと蹴返しながら蓮歩楚々として進み寄ってきた年の頃三十二、三の専太郎好みの乙な美人(中略)この婦人は村雲笑子といって四、五年前までは相当に鳴らした映画女優だった」(『魔都』)



「八雲町」「村雲笑子」という名称を見て、松竹蒲田映画に親しんでいるものならすぐにピンと来る。このモデルはたぶん八雲恵美子である。海野先生は登場人物の一人で「川俣踏絵という当時売り出しのアメリカ帰りの舞踏家」はそのモデルが川畑文子だということを突き止めているのに、村雲笑子のモデルが八雲恵美子だとは気付いていないご様子。川畑文子についての参考文献として、瀬川昌久『ジャズで踊って 舶来音楽芸能史』も挙げているのに。そして、この本には八雲恵美子の名前もちゃんと出ているのになー(なあんて、たまたま知っているだけのくせしてエラそうに!)。



『魔都』の舞台となっているのは1934年(昭和九年)の大晦日から1935年(昭和十年)の元旦にかけての一日で、その二十四時間のあいだに起こった出来事が語られている。1932年(昭和七年)に来日した二世娘・川畑文子の人気が全盛だったのが1933年(昭和八年)から1934年(昭和九年)にかけてで、昭和八年の大晦日に初日を迎えた日劇ステージ・ショー『踊る一九三四年』では堂々主役に抜擢され、詰め掛けた五千人を超える聴衆を歌とダンスで魅了したという。もしかすると『魔都』の舞台となっている昭和九年のその前年のまったく同じ大晦日に行われたこのイヴェントのことが、十蘭の頭をちらとかすめたかもしれない。ともあれ、この1934年(昭和九年)の大晦日が舞台の久生十蘭の小説の登場人物としては、川畑文子はうってつけだと思う。ちなみに、松竹蒲田映画で思い出したけれど同じく1934年に制作された島津保次郎作品『隣の八重ちゃん』にも、主人公の女学生に扮するおさげ髪の逢初夢子が友人高杉早苗の前で川畑文子の唄『ラヴァ・カム・バック・ツゥ・ミー』を口ずさんだりするシーンが出てきたりもする。



第一章の「モダン都市函館」については、また次回書けたら書きたい。