しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


映画メモ:小津安二郎のモダニズム


新文芸座小津安二郎特集がはじまっているというのに、雑務に追われてなかなか行けなかったのを、これだけは!と休みを取って観に行く。小津作品はしょっちゅう何処かで上映されているけれど、サイレント時代の作品は『生れてはみたけれど』や『東京の合唱』など限られたものしか上映されないので、これはやはり観ておきたい、という訳なのです。



・『その夜の妻』(松竹蒲田、1930年)

漆黒の闇の中、銀幕に大写しのエーパンに逢える!キャー!という絶好の機会なのでいそいそと観に行ってしまったサイレント作品。この作品を日本映画におけるフィルム・ノワールの先駆けとか何とか、そんな大それたことを無邪気に言ってみたい誘惑に駆られるけれど、それはさておいても、映し出されるポスターの中に、ダシール・ハメットによる探偵小説を原作とした『マルタの鷹』(1941年)に出演しているウォルター・ヒューストンの名前が読み取れるのが、のちのフィルム・ノワールを充分に予感しているのではないか?などと思ってみたり.....。これまた岡田時彦とその家族が住むアパートがおよそ日本とは思えないのが凄い。『新青年』に掲載された原作、オスカー・シスゴール「九時から九時まで」には特にそういった記述は見当たらないのだけれど、野田高悟の書いたこの脚本では、主人公の職業が画家という設定なのか、琺瑯の水差しには絵筆が何本も投げ入れられ、床には油絵のキャンバスや、キリル文字の看板までが立てかけられているのだから。額にはらりと落ちる前髪がさらに美男子ぶりを助長させている我等が英パンはサスペンダー姿がよく似合う。この頃はまだカメラはフィックスでもローアングルでもなく俯瞰や移動撮影もしていて興味深い。



・『非常線の女』(松竹蒲田、1933年)

『その夜の妻』でのハリウッドへの傾倒ぶりををさらに押し進めたピカピカの舶来趣味な映画!『その夜の妻』とは違ってフィルムの保存状態もよく、また、与太者ギャング役の岡譲二の仕草が笑っちゃうほどにアメリカナイズされていて素晴らしい。岡譲二はそのバタ臭い顔立ちもさることながら、がっちりと体格がいいので、中折れ帽子に襟を立てたツイードのコートがほんとうによく似合うし、拳闘家の役もぴったり。悔しいけれど、この役はやっぱり身体が細い英パンでは出来なかったろうなあという感じ。だが、岡譲二の相手「ズベ公」役の絹代ちゃんはやっぱり何度見ても辛いなあ。モダンでスタイルの良い友人役の逢初夢子*1のほうがどう見てもぴったり。この時期の田中絹代はやっぱり五所平之助伊豆の踊り子』のように可憐な日本娘役のほうが似合う。劇中で何度も赤坂のダンスホール・フロリダが登場する(思い出すのは戦前の濱谷浩の写真!)のも嬉しいし、何より、今回この作品をスクリーンでどうしても見ておきたかったのは、これが山中貞雄の大のお気に入りだったから。

山中は私と同様、昭和八年池田忠雄の脚本になるメロドラマ「非常線の女」が大好きだった。田中絹代と岡譲二がいつか悪の世界から足を洗って狭いながらもたのしい愛の生計を夢みる字幕が出る。「小鳥が啼いて」「青い芝生があって」「赤いお屋根のお家に住んで」ーー山中はこの字幕を愛誦して撮影をつづけた。「たのしかったで」と私に言った。
岸松雄「小津安二郎山中貞雄と私」

というくだりを、山中貞雄のお墓参りから帰ってきて、最近、読み直してみて、改めてじーんとしていたところだったのだ。



・『淑女は何を忘れたか』(松竹大船、1937年)

横縞のカーテンやカナリヤ?の居る鳥籠をはじめ美術が素晴らしい。桑野通子が繰る外国雑誌のグラビアにはディートリッヒ、とかいちいち細かいところにまで目が行き届いているのはさすがは小津作品という感じ。スタイル抜群のモダンガール、桑野通子の颯爽とした洋装が素敵。音楽を伊藤宣二という人がやっていて、すてきな帽子を斜めに被った跳ねっ返りの大阪娘・桑野通子と斎藤達雄扮する大学教授の助手の佐野周二(「いやあ」という台詞ばかり言う)が連れ立って舗道を歩くシーンで流れているハワイアン・ミュージックが何とも無国籍な雰囲気を醸し出しているのだけれど、このシーンに差し掛かるといつも川畑文子の大好きな曲「コロラドの月」を思い出してしまう。ちなみに、この伊藤宣二の音楽では、同じ1937年に清水宏が撮った『恋も忘れて』においても、似たような旋律のハワイアン調の曲が使われていて、こちらは舞台が横浜のチャブ屋ということもあり、さらに何とも無国籍な香りぷんぷんの映画であった。この映画をはじめて観た時は、桑野通子があまりに素敵だったのでその印象ばかりが強かったのだけれど、今回見直してみると、マダム役の栗島すみ子の鼻にかかった台詞含む媚態がかなり印象的であった。そうか、これはルビッチばりの艶笑喜劇だったのだな。

*1:誰かに似ているなあと思ったらid:achacoであった。