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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

余分の豊かさが溢れている書物:関口良雄『昔日の客』


関口良雄『昔日の客』*1が夏葉社(http://natsuhasha.com/)から復刊された。


これは一部の古本愛好家のあいだで「幻の名著」とされていた古本エッセイで、わたしは去年、出来ごころで参加した「西荻ブックマーク」の前後でこの本のことを知った。恥ずかしながらこれまで私小説作家の作品にほとんど親しんでこなかったこともあり、わたしの知識はと言えば、そういえば石神井書林内堀弘さんとdaily-sumus林哲夫さんがこの本のことに言及していたな、程度のお粗末なものであった。


それで「まあ、一応読んでみるか」くらいの軽い気持ちで手にしたこの本が、あまりに素晴らしかったので一読驚嘆したのであった。それが去年の6月のこと(id:el-sur:20090629)。


今回一年ぶりに、若草色の布貼り(布貼りにしたことで夏葉社さんは30万円も余計に費用がかかったのだそう!その心意気に頭が下がります)に関口さんの自筆で書名が箔押しされるという凝った造本でよみがえったこの本を、再び読む機会を与えられた。そして思ったのは、ほとんどまっさらな状態でこの本を読んだことが、わたしの場合は、逆に良かったのかもしれない、ということだ。


確かにこの本には、正宗白鳥からはじまって、尾崎一雄尾崎士郎上林暁野呂邦暢など多くの私小説作家が登場する。これらの文学者を愛する読者にとっては、山王書房の店主と彼らのやり取りを垣間みているかのような、その辺りがたまらない魅力なのだろう。


わたしはほとんどこれらの作家たちに親しんでこなかった。


それなのに、それにもかかわらず、この本は30年という時を経ても、未だに鉱脈に行き当たったかのような輝きを放ちつづけている。読んでいて、鼻の奥がつんとしたり、自然と頬が緩んでしまう。いいなあ、いいなあ、と思う。ほとんどこの本を愛さずにはいられないといった感じなのだ。それはいったい何故なのだろうか?と考えた。


『昔日の客』という作品に一貫して横溢しているのは、無名の人々の傍役の魅力ということなのではないか。とかく作家たちを巡る様々な一コマが目立つし、そこに読者の眼がゆきがちだけれども、この本の魅力は名の知れた作家たちと同じ加減でもって無名の人々にも頁が割かれていることだと思うのだ。幸運なことに、わたしは上記の作家たちに親しんでいないことで、そのこと――書き手が無名の人々にも「昔日の客」として同じように親しみをこめている――がとてもはっきりと判るのだった。


わたしが特に気に入っているのは、「某月某日」に出てくる、帝国文庫『里見八犬伝』をどら声で暗誦し、尾崎一雄の近況を聞いて自分のことのように喜ぶ「植字工のKさん」や、いつもポケットに原書のマラルメボードレールの詩集と一緒にウィスキーの瓶を忍ばせた「トルストイの爺さん」と呼ばれる人たちだ。


こういう人たちは、昔の映画を観ているとよく出会う。ストーリーの大筋にはほとんど関係ないのだけれど、ちょっとしたシーンで忘れられない印象を残す傍役はハリウッド黄金期の映画を観ていると出てくる。或いは、50年代〜60年代にかけての日本映画。「ああ、こういう人いるよね」と、ふっと笑いたくなるような。例えば、ジョン・フォードの映画に出てくるバリー・フィッツジェラルドのような。例えば、小津安二郎の映画に出てくる高橋貞二のような。或いは、カウリスマキの映画でもいい。いい傍役が出てくる映画は、どれも傑作だと思う。というか、傑作と呼ばれる映画には必ずと言っていいほどいい傍役が出てくる。


ストーリーにはほとんど関係ないから、別に居なくてもいい。でも、こういう人が居るか居ないかは、そのまま映画の豊穣さにかかわってくる。『昔日の客』の魅力は、作家たちとの交遊という主役のエピソードの陰で、ほんの少ししか登場しないけれど忘れがたい印象を残す無名の名傍役たちによって支えられているのではないかと思う。何となく、ふと、足立巻一『親友記』を思い出す。足立巻一もまた、無名な人々にまなざしを注いでいた人だったから。


思うに、関口良雄さんは、自然と「映画の眼」を身につけてしまった人だったのではないだろうか。大げさに言うならば、映画に愛される天賦の才能を持った人。掌編として物凄い高みにある「スワンの娘」も、無名の傍役を描いた極めて映画的な作品で、それを象徴するかのように、冒頭には『ローマの休日』(1953年)の話がちらと出てくるけれど、中心と周縁とが同じ比率でもって綴られた「余分の豊かさ」が『昔日の客』という作品の豊穣な魅力にそのままつながっている。


とかなんとか、つらつら考えていたのですが、えーと、何が言いたいのかというと、単なる「古本エッセイ」に留まらない魅力をもったこの本をみなさん買って読んでくださいね、ということなのです。一人でこんなアクロバティックで果敢な挑戦をやってのけてしまった夏葉社さんの志にエールを送るためにもね。