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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


昨年11月の西荻ブックマーク「平出隆×扉野良人」対談と、冬至の日の須磨でおこなわれた扉野さんの企画「とある二都物語」の余韻を、年があけてからもずっと引きずったままで、机の上にはいろんな詩人たちの詩集が散乱している。井上多喜三郎全集、高祖保詩集、中桐雅夫詩集、北村太郎詩集、山中富美子詩集、続吉岡実詩集、那珂太郎『はかた』(中州の橋のたもとにたたずみ目をつむると おい伊達得夫よ あのブラジレイロの玲瓏たるまぼろしが浮んでくるぢやないか....)etc, etc......。こちら側に向けて積んであるそれらの背表紙を見つめてときどきその中から一冊を抜きとり気まぐれに繙いてはすこしだけ詩篇を読む、ということを繰り返しているのだけれど、詩の言葉はすっと入ってくる時とそうでない時があり、なかなか読むのがむつかしい。平日の労働と家事が終わって一息ついた時、というのも試してはみるものの、心がざわついているせいなのか、なかなか詩の言葉が入ってこない。そんな中、すっと入ってきた詩人の日記がある。


平出隆『光の疑い』(1992年、小沢書店)を読んでいたら、吉岡実『うまやはし日記』(1990年、書肆山田)のことが書かれていた。昭和十三年八月三十一日から昭和十五年三月六日までの、満十九歳から二十歳までの日記である。のちに戦後を代表する詩人となることを知っているわたしたちが、まだ詩人としての出発前夜であった頃の彼の目を通して戦時下の日常を垣間見ることができるという幸運。そこには、おお!「二十歳のエチュード」とも言うべき時期に書かれたものであるというのに、驚くべきかな、多くの文学青年の日記にありがちな鬱屈した青春の二文字の匂いをぷんぷんさせた、過剰にして厄介な自意識の露呈といったものは存在せず、ほんとうにそっけないとも思えるほど簡略な、けれども、微笑ましく好ましい言葉でもって日日のできごとが記されているのである。そしてそこには、青年・吉岡実が歩き回った戦前の浅草神田界隈の風景までもが、みずみずしく立ち上がってくる。その得難い嬉しさ。若き吉岡実は書道教室を手伝いながら職に就くか否かのあわいを行きつ戻りつし、心の揺れを覗かせながらも、『クレーヴの奥方』を再読して典雅な雰囲気に酔ったり、ロッパの「笑いの王国」や「ムーラン・ルージュ」の踊り子たちを観に行ったり、『パンドラの箱』を観てルイズ・ブルックスに魅了されたり、『左川ちか詩集』を取り寄せたりしている。日記に鑑賞記録がなされている『第七天国』や『たそがれの維納』はわたしも好きな映画なので、「おっ!」とそんなことも目に嬉しい。それにしても、この比類ない清々しさ。日記というものは、本来こういう記述の仕方で書かれるべきではないのか?とおおいに考えさせられた。このブログのように、いらぬことばかり長々と書きつけている蛇足そのもののような文章(!)では駄目だなあ、とおおいに反省する、と言うべきか、そうではなくて、そもそも誰にも頼まれないのにせっせと駄文を書き連ねていることそれ自体が蛇足なんである、と言うべきか、それもそうだけれども、自分の文章と戦後詩のいちばん高い処に在る吉岡実のそれとを比べて落ち込むなぞということが端から阿呆なのである、と言うべきか。


戦前の浅草界隈といえば、我が友人にして才気煥発のべっぴんさんであるところの、平山亜佐子嬢の二冊目の著作『明治 大正 昭和 不良少女伝---莫連女と少女ギャング団 』(河出書房新社、2009年)は、相変らずの目の付けどころが素晴らしく、面白く読了した。文章から見て取れる戦前モダン都市文化に造詣の深い彼女ならではのニュアンス(マキノや日活の黒幕だった千本組の笹井末三郎についてもきちんと調べているし、水谷八重子なんていう大御所ではなくて「筑波雪子辺りなら、あるいは話を聞いてくれたかもしれない」のくだりにも「そうだよねえ」とにやり)も小気味好い。ハマのモダンボーイ・北林透馬『街の国際娘』のことが書かれていたので、港町横浜の淪落の女を描いた無声映画の傑作、清水宏『港の日本娘』(1933年、松竹蒲田)をぜひ観てね!(id:el-sur:20070722)と勝手におすすめしたい。あと、その筑波雪子が文字通り軽薄なモダンガール役を演じている牛原虚彦『若者よなぜ泣くか』(1930年、松竹蒲田)も一緒に(id:el-sur:20091018)って、もう観ていたらごめんね。