しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


本日の英パン発見

セツ先生も英パン贔屓:
長沢節『セツの100本立映画館』(草思社、1985年)

林長二郎から岡田時彦

小学生たちが美剣士、林長二郎派と沢田清派の二つの派閥に分かれていたのを思い出す。私は長二郎派だったが沢田清もキライではなかった。
ただ沢田清の出る日活の映画館が少し遠くて、つい近くの松竹映画のほうをよけいに見ることになったのだ。(中略)

ときに思い切って日活のほうに行ってみても何かがヨソヨソしくて、心が躍らない....。当然、ガマ口をあけるところまではいかないで帰ってきてしまう。あちらにはその後、憎らしい顔の大河内伝次郎なども出てますます勢いづいていたのに、私はいつまでも林長二郎に忠誠を誓っていた。(中略)

林長二郎の松竹映画は同時に栗島すみ子、川田芳子、柳さく子、千早晶子などの女優たちによる現代劇も見せてくれたから、私はしだいに時代劇からメロ・ドラマのほうに惹き寄せられていったと思う。

しかし、現代劇のことを学校でいうと、とたんに軽蔑され、ナンパとされるのであった。だから『籠の鳥』という流行歌とともに作られた大悲劇は、いまだかつてそれを見たとは誰にもいったことがない。

中学になると映画は禁止となり、私はそれでも映画館通りに出かけていく。先生に見つかると退学になるといわれていたので、当然見る回数も減るわけで、それが冬になってマントを頭からかぶる頃になると、とたんに勇気が湧く。冬が来るのがとても待ち遠しかったものだ。
新しく「帝キネ」というのもできていた。入江たか子岡田時彦の『滝の白糸』が見たくて、矢も楯もたまらず、寒くもないのにマントとマスクですっぽり顔を包みながら見た。

入江たか子にも感動したが、岡田時彦という二枚目は気が狂うほどだった。林長二郎型美形とはまるで別世界の、今まで見たこともないエキゾチックな新しい俳優*1なのであった。あの弱々しい美しさが何故か私の胸をいたくしめつけたのである。それで林長二郎とはぷっつり縁が切れたのかもしれない。時代劇はすでに卒業し、次は自然に、美しい女と男との恋愛映画になったのである。(p.14-15)


さすがはお洒落なセツ先生、お目が高いんだわ!と読みながらいつまでもにやにや。「気が狂うほど」「今まで見たこともないエキゾチックな新しい俳優」ですって!「うん、そうよね、そうよね」と深く頷きながら、まるで同士を得たような嬉しさに頬を緩ませながら読む(←バカですみません)。それにしても、子供が大人の目をかいくぐってまで映画を観にいくという話はいつでもわたしを感動させる。

*1:画像は先日入手した英パンのブロマイド(キャー!)、日活の白塗り時代ではないところがたいへんお気に入り、たぶん不二映画〜新興キネマ時代に撮られたもの。教えてくださったMさんに心より感謝いたします。