しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

猫と木漏れ日とふたりの女の子と/ジャック・リヴェットセリーヌとジュリーは舟でゆく』




本日期末の有給休暇。午前中、東京駅近くで用事を済ませてから、中央線で御茶ノ水まで出て、そこから総武線に乗って飯田橋駅で下車。御茶ノ水駅から四ッ谷駅までの総武線の区間は地下鉄丸ノ内線が一瞬地上に出るところと合わせて、東京中でいちばん好きな路線なので、今日は久しぶりに総武線に乗車する機会ができて、それだけで心踊ってしまう。しかも窓の外はお濠のきらめく水面と新緑と桜の季節!



お濠の桜はもう七分咲きといったところで、つい先日も同じ道を通った時はまだほとんど咲いていなかったのに、うかうかしていると桜はあっという間に咲いてしまう。今年はお花見に無事間に合うのかなあ、とつらつら思いながら、日仏学院へ。角を曲がって、坂の上の日仏学院を見上げると大きなしだれ柳のぽつぽつと点描みたいな新芽の鮮やかな緑が眼に嬉しい。



ジャック・リヴェットセリーヌとジュリーは舟でゆく』(Celine et Julie vont en bateau, 1974)を観る。こんな有名な作品を今頃になって観ているのが恥ずかしいのですけれど。たぶん10年前に女友達と一緒に観て「キャー」と言うべきだった作品、でもいいの、スクリーンで観たかったから、というお決まりのエクスキューズはさておいて。リヴェットは何年か前にオリベホールで観た『デュエル』がどうにも変な映画という印象しか残っていなくて、何となくその後遠ざかっていたのだけれども、この作品はファンタジーのスパイスも加えつつ、映画にしかできない魅力が溢れていてすっかり魅了された。



冒頭のふたりの女の子の出会いが探偵活劇の様相を呈するところからして妙で、そもそも何故逃げるのか/何故追うのかという謎は何事もなかったかのように置き去りにされたまま、物語は知らん顔でそして舟はゆく。こういう何故の黙殺はやっぱりとても好みなので、スクリーンを見つめながら「いいぞ、いいぞ」と思う。アシッドな70年代の香りが色濃く漂っていると言えばいいのか、ヒロインの女の子たち(ジュリエット・ベルト、ドミニク・ラブリエ)は大きいサングラスにパンタロンというヘンテコな格好をして、"クスリをキメた"としか思えないような大袈裟な身振り手振りでバカバカしいほどによく笑い、口に入れると幻視できるという禁断のボンボンは、リヴェットがインスパイアされたという『不思議の国のアリス』というよりは、むしろサージェント・ペパーズ"Lucy in the sky with diamonds"の世界に近いものがある。セリーヌ役のジュリエット・ベルトはややタレ目で口も常時半開きでちょっと頭が悪そうな(失礼!)なファニーフェイスなのだけれど、これぞ70年代の女の子といった感じで、素行の悪そうな(笑)仕草を含めてたいへんにチャーミング。彼女が動くのを見ているだけで嬉しくなる。どこかで見たことあるなあと思ったらゴダール『中国女』で赤い本を持っていたあの娘だったのか。ジュリー役のドミニク・ラブリエは本好き赤毛の地味女子、職業ライブラリアンというのが頷ける雰囲気で、極私的にシンパシーを感じた。女の子ふたりを主人公とするのだったら、こういうデコボコ・コンビがやっぱりいいよねえと思う。あ、でもしがない一ライブラリアンとして言わせていただくと、本の扱いには正直眉をひそめる箇所が数カ所ほどありました。セリーヌが奥の閲覧席でやったように本はあんな風に粗雑に扱ってはいけませんし、自分の手型を落書きをするなど論外です。もちろん、夜中に合鍵で書庫に忍び込んであんな革装の貴重書を無断持ち出しするなんてもってのほか!(以上、おもての声)とか、ね。でも、本当は図書館でああいう禁忌とされていることを一度はやってみたい!という媚薬のような誘惑に抗いがたいことも確か(以上、うらの声)、だから映画は愉しい。



ビュル・オジエの白痴美もすばらしかった。そして、水先案内役が猫というのも、もう猫好きとしてはひたすらにんまり。画面に猫が映るたびに頬が緩む。冒頭のプラタナスの木々と夏の日差しを受けた木漏れ日のしみがところどころ地表をグレイに染めるのが本当に美しくて、思い出すのは、マノエル・ド・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』。それから、ラストシーンの舟!はまるでルノワールでもうただただうっとりした。陽光をいっぱいに浴びて日向臭そうなトラ猫のふかふかの首と顔のクローズアップ。セリーヌもジュリーもお揃いでボーダーTシャツ着ているのもこれ10年前に観ていたら「キャー」となっただろうなあと思う。そして、一瞬、音が無くなってしんと静まり返った中に、もう一隻の舟ーー赤いドレスの女、青いドレスの女、一人の男がすーっと水面を滑るように横切ってゆく、まるでそこだけが時間と空間がねじれた白昼夢のように。素晴らしいラストシーンに感嘆のため息を吐いて、リヴェットが創り出した映画の魔術に酔いしれながら、夕刻の柔らかな日差しが降り注ぐお濠の桜並木を見遣って、今日は帰りに甘いものを買って帰ろう、などと思う。