しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

<追記・3/16>
普段、ここにお見えにならないような方々にまでぞくぞくと訪問していただいているようで「なんだか」という感じではありますが、まあ、でも自ら進んで言い出したことなのでちょっと補足を。何も岡田時彦の魅力に中野翠が疑問を投げかけたからと言って、ここまでクサさなくてもいいような気もしますが、それは岡田時彦絶対主義者として賛辞の言葉を日々書き連ねている者として、どうしても擁護する義務があるので立場上声を上げておかねばならないのです、とか何とか。まあ、思い込みが先走った「うわごと」と言ってしまえばそれまでだけれども。



真面目な話に戻すと、これは彼女の問題というよりは、出版社もしくは、出版業界全体に対するわたしなりの苦言なのです。また、その出版社が筑摩書房だったということもわたしの怒りを更に助長させていることのひとつ、なぜならわたしは筑摩書房の出版物に長いこと愉しみを与えてもらっていたし、ずっと今まで贔屓にしてきたから。好きだからこそ言いたい、もっと心意気が、編集者や作者の熱が、読み手に伝わってくる書物を作ってよ、てな訳です。そういうんじゃなきゃ、わざわざ新刊にお財布開きたくないですよ、古本でこんなに素晴らしい本がごろごろしてるんだからそちらを読みますよ。引っ張りますけれど、ホントにこういう色んな意味で「薄い」本をしれっと出版するヒマがあるなら、竹中労の『日本映画縦断』シリーズ全三巻をとっととちくま文庫に入れて下さいよ、『鞍馬天狗のおじさんは』(マキノ雅広の言葉を引いた橋本治の解説が超泣ける)と並べて売れば丁度いいじゃないですか。



例えば、これはお友達(id:jasminoides)が係っているからって贔屓目で見ているとか誤解されたくないんだけれども、青土社から今新刊で出ている『足穂拾遺物語』は(ごめんなさい、買わずに立ち読みしただけですが)そのヴォリュームといい、丁寧な解説といい、そして何より編集者の、まだ世に出ていない作品を送り出そうという執念にも似た熱意がひしひしと読み手に伝わってくる素晴らしい書物じゃないですか。こういう本が、こういう本だけが、読み手を感動させることができるのだと思うのです。或いは、こちらも今、書店に並んでいる、spin 03「佐野繁次郎装幀図録」(みずのわ出版)で見ることのできる、惚れ惚れするようなサノシゲ装丁本がずらっと並べられた圧巻のカラー頁だってそうです、作り手の熱意が情熱がひしひしと感じられるじゃないですか。わたしは青臭い理想論を言っているだけなのでしょうか?そうかも知れません、でもね、新しい本を出すってことは、本当はそういう心意気とか執念とか熱意とかモヤモヤした形にならないものを作者や編集者やその本に係るすべての人々が皆で魂込めて手間暇かけて一冊の本に昇華させてゆく、ということではないのかしら。でなきゃ、何度でも言うけれどホントにイミナイヨ。