しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


阪妻の『雄呂血』にやっぱり英パンは出ていなかった



『映画の友』(昭和九年・1934年3月号)の「故・岡田時彦追悼」に掲載されている英パンの略歴には、「.....帝キネ解散状態に陥ると同時に退社。其後阪妻プロダクションに一時加入し阪妻不朽の名作「雄呂血」に助演.....」とはっきりとそう書いてあり、フィルモグラフィーにもしっかり「阪妻プロ 雄呂血」と書いてあるので、半信半疑ながらこれは一度『雄呂血』(1925年)を観ないといけない、と思い、さっそくヴィデオを借りてくる。監督の二川文太郎は大正活映時代から英パンとは旧知の仲であるのだし、時代劇にも数は少ないながら何本かは出ているのだし(マキノ等持院や帝キネ時代の作品は時代劇だったのだろうか?)あり得ないとは言いきれないな、と思って、たとえ白塗りに髷姿であっても英パンの顔だけは認識できる自信もあって、眼を皿のようにして画面を見つめていたのだけれど、やっぱり英パンの姿は見えなかった.....。これまで色々な文献をあたっても、岡田時彦が『雄呂血』に出演しているという記述は何処にも見当たらなかったし、「阪妻不朽の名作」に出演しているのに、何処にもその情報が載っていないというのはやはりあり得ないことなのであった。同年に撮られた伊藤大輔『煙』(1925年)には主演しているのだけれど、この作品と取り違えたのだろうか?共通点は製作年と共演者に森静子が被っているくらいしか思い当たらないけれど....。



・山本嘉次郎『エノケンの青春酔虎伝』(P.C.L.、1934年)



音楽が紙恭輔で二村定一も出ているとのことで、早く観なければと思っていたこのミュージカルをようやく。P.C.L.らしいのんびりとした極めて他愛のない可愛らしい音楽映画でございました。



唄っている二村定一をはじめて映画で観て「おお!」と感動する。二村定一の顔を見ると何故かいつもキリギリスとかコオロギとかいう虫を思い出してしまうのだけれど(って失礼な!)にっこり微笑みながら披露する、艶のある伸びやかなテナーが素晴らしい。そういえば、瀬川昌久『ジャズで踊って』の中に載っている写真に英パンと二村定一が一緒に写っているものがあったな、と思い出してにんまり(ってまたしても英パン....)。



「青春酔虎伝のテーマ」は何処かで聞いたことがあるなあと思ったら、あきれたぼういず『商売往来』の「ハーイヘイ コーヒーおくれ 発車の時間だ 早くくれ」の部分のメロディと全く同じであった。冒頭、フレアスカートを身につけた大勢の女の子たちがレヴューさながらにレンガ造りの校舎とおぼしき建物から小走りで躍り出てくるシーンからはじまるのだけれど「あれ、これはもしかして我が母校!?」という程にわたしの通っていた大学にそっくりな建物で驚く。実際のところはどうだったんだろうか。劇中では「ライス大学」なんてふざけた名前がついていて(ちなみに、堤真佐子の通う女学校は「カレー女学院」というのである。二つ合わせて「ライスカレー」なんですと。まるで「一皿満腹主義」のカロリー軒みたい、おバカだ....)エノケンが白でくっきりトリミングされた七五三みたいなブレザーを着て試験勉強をする部屋の壁には、おでんやの提灯と一緒に"RICE"という三角のペナントが貼り付けてある。



失恋の痛手を負ってふさぎ込んでいるエノケンに母(英百合子)と姉がお見合いの写真を持って来て、その相手が美人のマチ子(千葉早智子)だったもんだから、エノケンたら途端に元気になっちゃってお見合い写真を見つめて小首をかしげながら「ねえ、ねえ、愛して頂戴ね」と佐藤千夜子の唄を口ずさんだりする。可愛い。



二村定一が大学を途中で止して開いたビア・ホールのセットは木村荘十二『ほろよひ人生』(1933年)で使われていたものとほとんど同じような雰囲気だった。小柄なエノケンがこれぞドタバタ喜劇といった風に階段を上がったり降りたり飛んだり跳ねたりしながら立ち回るシーン(照明にぶら下がって落下したりする!)はなかなか凄いし、この映画における見せ場の一つなんだろうけれど、それにしてもちょっと無駄に長い気もするし、あんな風に四肢を酷使していたらそりゃ足も悪くなるよなあ、と晩年の不遇なエノケンを思ってちょっとしんみりする。とか何とか言っても、川島雄三映画におけるフランキー堺の演技でも思ったけれど、喜劇役者のキビキビした身のこなしってのはほんとに素晴らしいのだけれど。