しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


<本日の英パン発見>



碧川道夫著・山口猛編『カメラマンの映画史 碧川道夫の歩んだ道』(社会思想社, 1987年)



市川崑東京オリンピック』(1965年)では技術監督をつとめ、義弟内田吐夢と組んで『限りなき前進』(1937年)や『土』(1939年)を送り出した名カメラマン・碧川道夫の日活大将軍での第一作は、岡田時彦の出世作『足にさはった女』(阿部豊監督作品, 1926年)であった。その後、日活での英パンの代表作『彼を繞る五人の女』『人形の家』(1927年)『日活行進曲 田園篇』(1929年)などの作品においてもカメラをまわしている。



その彼がつづった英パンの思い出話はなかなか興味深い。岡田時彦のことを色々と調べてゆくうちに薄々感づいていたことのなのだけれど、英パンったら、一言でいうと、ちゃっかり屋すぎる。岸松雄『日本映画人伝』の中にも、英パンが「当時、香櫨園にあったキネマ旬報社に岡田はしばしば寝泊まりに行ったが、ただ寝泊まりしたばかりでなく、有體に云えば、社長田中三郎の好意におもねて、そこを根城にして、しきりにあや子と媾曳を重ねた」というくだりがある。ここでも、お見舞いのふりをしながら、涼しい顔でちゃっかり媾曳の場所にしてしまうところがまさに岡田時彦面目躍如という感じで可笑しくて。


岡田時彦の思い出


以前から私は病気がちでしたが、京の冬の初体験は厳しく、とうとう賀茂川べりの、京都医大病院の客となりました。すると、私が映画人だということを知って、学生時代から映画に興味を持ったドクターが、よく遊びに来るようになりました。なぜ、私が映画の人間かと分ったのかというと、男女優が見舞いに来てくれたからです。


その中に、エーパンこと岡田時彦君がいました。彼は。バレンチノにも匹敵する不世出の二枚目でしょう。色気の採点では、失礼だが、娘さんの岡田茉莉子さんだって、かなわないかもしれません。彼が、よく病室に来ました。しかし、同時に、ギラギラするほどの美女がタイミングよく見舞ってくれました。後で分かったことですが、私を心配することより、楽しい恋の場として、私の病室を利用していたのです。何しろ、病室といっても、洋風作りの、広々とした、風光美あふれる雰囲気を持った部屋でしたから。
ついでに、彼の思い出を話しますと、昭和三年、吐夢が「地球は廻る」を撮っていた時でした。


内田吐夢が負傷した!」


その急報に、私は飛んでいきました。祇園の料亭で、吐夢がやられて、手当てを受け、寝ています。私は。介抱役の、横浜時代からの友人井上金太郎さんに、


「だれが相手だ!」と聞くと、


岡田時彦だ!」


と言います。脇息で殴られたので、額が割れていましたよ。太秦の撮影所に車を走らせ、俳優部で聞くと、彼は、出番だというので、


「すぐ、呼びだせ!」


と言いました。私は、殴るつもりでいたのです。近づいてくる彼の顔は忘れないですよ。彼は、吐夢、江川宇礼雄とともに、有名な、横浜の不良少年上がりです。谷崎潤一郎大人が可愛がりましたけど、出入りは十二分に知っている男です。「やられるな」と思っての、その澄んだ表情。


ところが、私の方でハッとしました。彼は、メーキャップをしていました。仕事中でなければ、荏原中学*1出の私は、殴ったでしょう。さすがに彼は兵法を心得、丁重にお辞儀をして、カメラの方に戻って行きましたよ。


この事件は、脚本家の小林正によれば、内田吐夢岡田時彦共に大正活映出身で、トーマス栗原門下。にもかかわらず、吐夢が監督をする時には、島耕二、小杉勇ばかり主役にするというので、岡田としては面白くない。それで二人の仲を和らげるために、井上金太郎の肝入りで席を設けた、その場での出来事だったそうです。本当に喧嘩をすれば、問題にはならなかったでしょうが、吐夢はあえて殴られたままでした。聞けば、生まれたばかりの長男一作の可愛い顔が、フラッシュのように頭の中を横切ったのだそうです。

同じトーマス栗原門下の大正活映で一緒に過ごした岡田時彦内田吐夢は二人ともいっぱしの映画人になってから何故一度も仕事を一緒にしていないのだろう?という疑問をかねてからわたしも持っており、まあでも、その後の内田吐夢の仕事を見た時に、不世出の二枚目俳優・岡田時彦と組む余地はなかったのかも....と勝手に一人で納得していたのだけれど、これを読んで、そうか、英パンもやはり当時新進気鋭の監督・内田吐夢が自分を使ってくれないことに腹を立てていたんだなあと判って、少しだけ疑問が解けたような気がした。それにしても、脇息(肘掛けのことですね)で殴るタア、英パン、いくら何でもそれは御法度じゃないですか!殴り返さなかった内田吐夢、エラい、大人!やっぱり『飢餓海峡』を撮るようなお人は器が違う!そして、殴り掛かかろうとして、すんでのところで止めた碧川道夫にはお礼が言いたい、「英パンの美しい顔を拳で潰さなくて本当にありがとう!!」(←アホなファン心理...)。

*1:東京における不良少年の巣窟になっていた学校で、のちに英パンの親友の一人となった中野英治や時代劇スターの月形龍之介も居たそう。