しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


一月十六日、今日は昭和九年に岡田時彦が亡くなってちょうど七十六年目の日。



昨年の秋に出版された『女優 岡田茉莉子』を読んではじめて、お墓の場所が彼が少年期を過ごした横浜の光明寺にあると判り、すぐさま手帖で命日の一月十六日を調べてみると、2010年のその日は、ちょうど休日の土曜日なのだった。2007年に岡田時彦のことを調べはじめてから3年、極めて個人的な愉しみとして、できうる限りの些末なことまでもをひたすら追いかけて悦に入るということを繰り返してきたのだが、そのあいだずっとお墓の場所だけが判らずにいた。葬儀は京都の誓願寺でおこなわれたこと、谷崎潤一郎が授けた戒名は「清光院幻譽雪瑛居士」というものであったことも知ってはいたけれど、その後遺骨が何処に納められたかということは、色々と手を尽くして調べてはみたものの、ついに判らず仕舞いであった。


お墓の場所を突き止めて、一度でいいからお参りをしたいなあというのがここ数年来の願いであったから、一月十六日が土曜日であるということは、これはちゃんと命日にお墓参りしなさいと言うことなのだろうなといつものように思い込み、家人とともに保土ヶ谷駅からバスでうねうねとした山道を行くこと十数分、果たして久保山墓地という眼下にすり鉢状にひらける広大な墓苑に、岡田時彦こと本名・高橋英一のお墓があった。お洒落にはうるさかった英パンには黄色い菊や群青色の竜胆などの仏花ではなくて、シックなお花が似合うと思ったから、わざわざ地元のセンスの良いお花屋さんで退紅色のクリスマス・ローズなどを入れた花束を見繕ってもらったものを持参してきた、ええ、限りなく自己満足ですとも......!




鞄の中には英パンが荼毘に臥された時に一緒に棺に入れられた、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』と溝口健二日本橋』のスチール写真(写真左)をしのばせて、ようやくここに来ることができました、と小声で挨拶をした、感無量であった。手をあわせて心の中でお礼を言った。


墓石の脇には、松竹蒲田撮影所から贈られたという石灯籠があり、かすかに岡田時彦の文字が読み取れた。谷崎が付けた戒名は「清光院幻譽雪瑛居士」であったと聞いていたが、実際に墓石に彫られていた文字は「清光院幻譽雪映居士」であった。やはり映画の人であったから「瑛」を「映」に変えたのだろうか。