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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


言葉を失った状態が長くつづいたので、言葉を読むことに困難をおぼえた一年だった。上に挙げたのは、その中でのささやかな収穫です。今年は集中力を持続して読むことができなかったという外的要因もあるけれど、言葉の多い小説よりも言葉の少ない詩のほうに助けられた。白い紙の上に置かれた詩の言葉ははがねのように強靭で、闇夜を照らしてくれる燈火のような存在になった。「神経の疲れ」にそれらは何とありがたかったことか。

シス書店で観た平竜二さんの写真は、一見するといかにも華奢で儚げな世界に見えるのだけれど、内にもの凄い強度を秘めているような感覚があって魅せられた。漆黒の厚く塗りこめられたプラチナプリントの硬質な闇に、和紙をちぎったようなフォルムのたんぽぽの繊細な綿毛。そのひとつびとつから銀いろの柔らかな光が放たれているかのようで、ほんとうに美しかった。どこか中山岩太の写真にも通じる美しさというか。観に行った時にちょうど平さんがいらして、じかにお話を聞けたことも嬉しいことだった。銀いろに魅せられたということであれば、酒井抱一の図屏風の銀もまた素晴らしかった。瀧口修造という人は、ここ数年いつも頭のどこかに存在している透明な巨人なので、純粋に展示物のそのいちいちをたのしんだ。会場で、前から気になっていたのに閲覧せずにそのままになっていた『瀧口修造1958 旅する眼差し』*1の内容見本を見ることができてそれもよかった。綾子夫人宛の葉書にある「皆さんによろしくよろしく」というの、なんとも言えずいいなあ。

「なんと近づきがたく、なんと親しげな存在。その全作品を一堂に眺めることは、もういろんな意味で不可能になった。しかし、かつて全作品を鞄に収めることを思いついた人。いまは窓越しに、足跡の一端をしのび、おそらくその人が微笑みかけるのを待つ。」(自由が丘画廊「窓越しに...マルセル・デュシャン小展示」の案内状より)