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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

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京阪神遊覧日記その三:大雄寺へ山中貞雄のお墓参りにゆく



阪急電車に揺られて京都へゆく。京都、ああ、ご無沙汰の京都....!こんなに好きな土地なのに三年振りである。京都の地に降り立つだけで嬉しくてそわそわ、三条のホテルにさっさと荷物を預けて、いざ、敬愛する山中貞雄のお墓参りへと出発!なのである。京都市役所から二条へゆき、そこから山陰本線という電車に乗って「円町」という駅で降りるはずなのだが、駅へ行ってみると電車の本数がなく待ちぼうけをくらいそうだったので、タクシーで直接ゆくことにした。丸太町通りから七本松通りを入り、中央図書館の裏手に、山中貞雄の眠る「大雄寺」という小さなお寺があった。住所は京都市上京区七本松通下立売上ル。




おそるおそる境内にお邪魔する。帽子を被った小学生らしき女の子が庭を駆けっているものの、しんとして、他には誰もいない。とても小さなお寺だけれども、庭に植わるツツジ、サツキなどの草花が緑色のグラデーションに色を添えて美しい。果たしてその奥にところどころうっすらと苔むした大きな石碑があった。1941年(昭和十六年)に、山中貞雄を見出した批評家・岸松雄を中心に結成された山中会により建立された「山中貞雄之碑」、几帳面で潔癖な筆跡は小津安二郎によるもの、撰文はキネマ旬報社長で英パンとも仲の良かった田中三郎によるものだそう。この碑文を拓本したものが京橋のフィルムセンターで常設展示されているので、その内容は見たことがあったけれども、間近に本物を目の前にすると経年の歴史の重みが感じられてやっぱり胸に迫るものがある。一文一文を噛み締めるように読む。「その匠意の逞しさ、格致の美しさ、洵に本邦芸能文化史上の亀鑑として朽ちざるべし」かあ。小津も田中三郎も、勿論「山中会」の皆も、ほんとうに山中貞雄を愛していたんだなあというのがじんと伝わって来て、危うく涙しそうになる。



続いて奥の墓地にもお邪魔する。大きく枝を広げた柿の木の植わった左側の場所に、山中家累代のお墓とともに「日本映画監督 山中貞雄之墓」がひっそりとそこにあった。『人情紙風船』の中の大好きなワンシーンー海野又十郎(河原崎長十郎)の妻・おたき(山岸しづ江)が長屋のぬかるんだ路地のドブ板を踏みながら下駄の音を響かせて家に帰るその何とも寂寥あふれる後ろ姿ーを思い出しながら、今秋、命日の二日前から予定されているフィルムセンターでの「生誕百年 映画監督 山中貞雄」ではあなたの新しい作品が観られますように、と心から手をあわせる。アラカンと歌川八重子の『小判しぐれ』が見たいなあ。




大雄寺のあとは、大将軍の交差点を車で通り過ぎてキャッと喜び*1等持院マキノ省三先生のそびえ立つ凄い銅像に圧倒され、マキノ等持院撮影所に思いを馳せ、嵐電に乗って「鳴滝駅」で降りてみた。何もなかった。これは、日本初のシナリオ集団「鳴滝組」に敬意を表するためであって、鳴滝で下車することに意味がある(?)のだから、これでいいのです、とか何とか、やれやれ。




それから、嵐電北野白梅町まで戻り、市バスに乗って京都訪問時のお約束、百万遍進々堂へ行き、ぼんやりと中庭のもう終わってしまった藤棚を眺め、寺町二条に戻って愛しの村上開新堂で無事にロシアクッキーを買い、三月書房を訪問して『トスキナア』誌のバックナンバーの充実振りに感嘆のため息を吐き、六角通りの嵩山堂はし本でお土産に封筒と便せんを購入して、少年山中貞雄が「おれ、どうしてもマキノ、入ったろ思うねん」と言った昭和二年頃は京都一のキネマ通りだったけれど、今はただの嫌な繁華街になってしまっている新京極の誓願寺で「ここが英パンの葬儀が行われたお寺かあ」としみじみして、富小路三条の祇園寿司・ボンチでお出汁の美味しさに顔がほころぶ、京都一日目。

*1:勿論思い出すのは岡田時彦が日活大将軍で撮った『足にさはった女』や『彼をめぐる五人の女』なのです。