しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


成瀬巳喜男『鶴八鶴次郎』(1938年、東宝



今までフィルムで観る機会が幾度となくあったにもかかわらず、どうも予定が合わずに見逃し続けてきた作品をようやくフィルムセンターにて観る。東宝だから「監督 成瀬巳喜男」じゃなくて「演出・脚色 成瀬巳喜男」なのが「おおー、さすがプロデューサー・システム!」と思ったのでした、そんなことはさておき。



『歌行燈』(1943年、東宝)をはじめて見たとき、木漏れ日があまりに美しく映っているので、ビクトル・エリセが現代の神!と思ってやまない、もしくはジャン・ルノワール『ピクニック』(1936年)がもう本当に死ぬ程に好きな、木漏れ日偏愛家としてはかなり興奮した覚えがあるのだけれど、この作品でも、山田五十鈴演じる鶴八と大川平八郎演じる松崎が屋形船と思しき船内で会食する場面があり、窓を開けて涼む山田五十鈴の姿を外からカメラが写しているというシーンで、その屋形船の外壁に映る水のゆらめきと水面から反射する光を映し撮っているのが素晴らしくて、思い出すのはジャン・ヴィゴアタラント号』、そして、まさしく、ああ、これは『歌行燈』の監督作品なのだ!と興奮する。温泉地の木立の道を長谷川一夫山田五十鈴が連れ立って歩くシーンや、湖畔のほとりで愛の囁きを交わすシーンにも、木漏れ日が長谷川一夫の唐桟調の着物に白とグレイのしみを付けているのが判って「おお!」と思う。二枚目・長谷川一夫はもったりしてるので決して好きな俳優ではないけれど(これだったら花柳章太郎の方がいいよなあ)山田五十鈴と組むと不思議とよく見える、これが名コンビというものなのか。それにしても、この頃の山田五十鈴は本当に匂うように美しくてため息もの......!そして、あの終わり方の切なさとやるせなさは(って紋切り型だけれど)成瀬巳喜男の映画だなあと思う。