しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

午後はお休みをいただいて映画を二本鑑賞。



マノエル・ド・オリヴェイラ夜顔』(アルシネテラン、2006年)



お正月明けから怒涛のマキノ月間が始まってしまったので、毎回フィルムセンターに行く道々銀座テアトルシネマのミシェル・ピコリとビュル・オジェが向かい合っている看板を眺めながら「もう今回は観にいけないかも...」と半ばあきらめかけていたのだけれども、上映終了が一週間先延ばしになったとのことで、ようやくギリギリ間に合って鑑賞と相成ったのだった、やれ、目出たし。



『わが幼少時代のポルト』(id:el-sur:20071224)でもそうだったように、冒頭のオーケストラのシーンがまたしてもやや長すぎて、さっそく含み笑いをしてしまう。客席にビュル・オジェを見つけてそわそわするミシェル・ピコリの演技の素晴らしいこと!



わずか70分という小品だけれども、なんと豊かで贅沢な作品なんだろう。まさに、機知と茶目っ気に富んだ大人の映画。さすが小津のお墓参りで円覚寺の境内の階段を軽々とした足取りで後ろ向きに降りて行き、周囲の皆をおろおろさせた、今年2008年12月に生きて(!)生誕百年を迎えてしまう驚異の監督の映画である。オリヴェイラのいたずらっぽい微笑みが眼に浮かんでくるようだ。



フレームの素晴らしさ、映画の技術的なことはよく判らないわたしにも、その凄さが判ってしまうほどに、フレームがぴたり決まっている。無駄なショットが一切ないという感じ。そして、またしても尋常でない音がここかしこに鳴り響いている。ほとんど何も会話を交わすことなく、食器を、フォークとナイフをかちゃかちゃと鳴らし、舌なめずりをしながら、メレンゲのムースが層になっているコンソメジュレ(←このへん勝手なわたしの想像ですが...)をスプーンで掬いとり、ただ食べることのみに没頭するかのようなディナーシーンの何と官能的なことか!メレンゲのムースを掬っていると明らかに判るような音ーー細やかな気泡がスプーンにあたってささやかに弾けるような音!がしたりするから、もう一瞬たりとも目をそらすことのできないような緊張感に満ち満ちている。かすかな音も聞き逃すまいとしてただ耳をすます。ピコリの息づかい、くぐもった咳払い、いたずらっぽい微笑み、そのすべてが素晴らしい。



知らん顔して平然とfar-outなことをやってのけ、何事もなかったかのように口笛なんぞ吹いている、というのがこの監督の持ち味なのだけれど、この映画でも鶏が何の前触れもなく唐突に廊下を歩いて観客を笑わせるし、曖昧なピコリの態度に業を煮やしたビュル・オジェが怒って出て行ってしまった後に彼女が置いて行ったバッグから「おや、お金が入っているぞ」とか何とか言って給仕にチップをやってしまうユーモア!にもう参りましたという感じ。



それにしても、枯れるどころかますますそのユーモアとウィットとアヴァンギャルドに磨きをかけ、世界の謎「女という存在は自然が生んだ、最大の謎だ」を描いて、これほどみずみずしく輝いている。丸くなるなんてまっぴら!とでも言うように、若い者に「どうです?」とでも挑発するかのように、オリヴェイラが心底嬉しそうに映画を撮っている。そのことが何にも増して素晴らしい。



「山猫の目とアスリートのステップで、天使になる方法も、悪魔になる方法も知っている。厳粛で知恵に溢れ、エレガント、光と影に同時になれる。オリヴェイラ監督の秘密とミステリーは究極の優雅さに達している。相反するものが共犯者のように共存しているのです。」(ミシェル・ピコリ



そのままパリに飛んで行きたくなってしまうような、パリの街の魅力も十分味わえる映画!勿論、その後は銀座のパリであるところのオーバカナルでお茶を飲んで一休みしてから、いざ成瀬を観にアテネフランセへ。



成瀬巳喜男『乙女ごころ三人姉妹』(P.C.L.、1935年)




という訳で、昼間に「素晴らしい!」を連発したくなるような凄い作品を観てしまったため、夜のアテネフランセの成瀬はたいそう分が悪かった.....。



あんなにずっと観るのを楽しみにしていた『乙女ごころ三人姉妹』(P.C.L., 1935年)だったけれど、何となく、まあこちらの期待のし過ぎもあり.....。トーキー初期の作品ということで俳優のセリフが棒読みなのは仕方がないとしても、えーと、まずカメラが動きすぎて、個人的にはこれはちょっとなあ、という感じでございました。頻繁にパンするのもあんまり......。土管の中から覗き込むようにして腰掛けている二人を撮ってみたり、鏡に映るところを撮ってみたりと色々と実験的なことをしているようだけれども。カメラが動きすぎると何だか画面を観ていて酔うような気がするので、やっぱり好きではないと思う。それと、楽しみにしていた紙恭輔の音楽もジャズ調のがほとんどなくてションボリだった。まあそんなものか。リキー宮川の出ている、山本嘉次郎の『すみれ娘』(P.C.L.、1935年)がやっぱり観たいなあ。



梅園龍子はレヴューガールの役どころがカジノ・フォーリーそのまんまで伸び伸びと演じているのが可愛らしい。三人姉妹のそれぞれの描き方がイマイチ甘いのだけれども、三人の中でどう観ても一番地味で美人ではない堤真佐子がヒロインというのが、成瀬の慎ましさと優しさとがしみじみ伝わってくるようで好感が持てた。でも、彼女の魂の美しさを描くにはちょっと描き足りない感じ。とか言って、「魂の美しさ」なんて言い出したりなんかして、まるで溝口健二にしたたかにやられてしまっているようでお恥ずかしいのですが。まあ、でもその辺の「軽み」がP.C.L.ぽくもあり時代もありそれはそれでいいとは思うけれど.....。P.C.L.のファンとしては、浅草六区の活況と隅田川の向こうに見える松屋デパート、当時流行していた「明治チョコレート」「エビスビール」などの広告タイアップ的なモダニズムが目に嬉しかったし、梅園龍子が近所のガキどもに「やい、モダン!」と言われて竹箒を持って怒る、というのはかなり好きだけれど、だって、やい、モダン、って(笑)!でもこの作品だったら同じ年に撮られた『噂の娘』のほうがやっぱりずっと好きだわ、金井美恵子がこの作品にオマージュを捧げているから、ということを差し引いても。



明日は『女人哀愁』を観にいくつもり。