しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


マノエル・ド・オリヴェイラ『わが幼少時代のポルト』(2001年、アルシネテラン)



テアトル銀座にて、オリヴェイラのレイトショーを観る。


新作がかかったらとりあえず観にいくただ二人の監督*1のうちの一人、ということで、本当はまずは新作の『夜顔』を先に観なきゃ、なのだけれど、ルイス・ブニュエルへのオマージュ的作品とのことで、どうも躊躇してしまって順序が逆になった次第。だいたいブニュエルは恥ずかしながら数本しか観てないのだし、カトリーヌ・ドヌーヴの『昼顔』の続き、と言われても『昼顔』なんて学生時代に一度観たっきりでほとんど何も覚えてない.....。今まで観たことのある数少ないブニュエル作品では、むしろ『昇天峠』(1951年)の印象の方が何ともいきいきとしていて、よく覚えている、といったような「ていたらく」で、そんな人が果たしてこの映画を愉しめるのだろうか?と、またしても口から出るのはエクスキューズ。まあ、近いうちに観に行きますが......。



さて、言い訳はさておき『わが幼少時代のポルト』について。タイトルは一見郷愁を掻き立てるようなそれとなってはおりますが、案の定それはタイトルの字面だけで、容易に感傷の付け入る隙を与えないところが、まさにオリヴェイラの映画という感じでにんまりする。タクトを振る指揮者の後ろ姿を延々と映している最初のシーンからして、不必要に長過ぎるのではないかと思ったし、それに続くシーンがいきなり岸壁にザッパーンと打ち寄せる荒波っていう(笑)なんだかとりあえず凡人には訳が判らない感じの展開なのが相変らず素晴らしく、まあ、それでも日本で公開された前作の『永遠の語らい』(2003年)の破天荒なラストシーン(心の中でスタンディング・オベーション!)に比べたら「まだ可愛らしく」もあり、『神曲』(1991年)で画面に突如乱入してくるカチンコに比べれば「そうでもないか」といった気になる。何と言っても猫をキャメラに向かって放り投げると、キャメラが震える*2、なんていうことを平然と涼しい顔でやってのけてしまう監督ですからねー。



初期の作品をほとんど観る機会がない者にとっては、何と言っても『アニキ・ボボ』(1942年)の挿入シーンが嬉しい。ほんの数カットしか観られないのはとても残念だけれど、まるでジャン・ヴィゴ『新学期 操行ゼロ』(1933年)のようにみずみずしくて、未だ見ぬ作品に思いを馳せる悦びを味わうことができる。『ドウロ河』と『アニキ・ボボ』は本当にいつか、いつか、観たいと思っている作品.....!



小柄でぱっちりお目目が可愛いマリア・デ・メデイロスとオリヴェイラ自らが扮する泥棒との掛け合いシーンがとりわけ印象的。いや、印象的なんていう甘い言葉ではなく、観ている側に極度の緊張を強いる、くらい強い調子で言った方がよいかもしれない。なぜなら、画面には些細な音までもが丁寧に掬い採られて溢れ返っていて、ほとんど異様とも思えるほどだから。泥棒役のオリヴェイラの喋る前の息づかいや、箱の中から葉巻を取り出す時に葉巻同士がこすれ合って立てるかすかな紙の音など、思わず息をのんで耳をそばだててしまうほどに色々な様々な音が聞こえる。これは他のヨーロッパ映画においても、しばしばそういったシーンが出て来てその度にはっとさせられるのだけれど。



例えば、前述のビクトル・エリセの作品でいうならば、『ミツバチのささやき』(1973年)での巣箱に入った無数の蜜蜂の奏でる遠いような近いような波のある羽音、アナとイザベルと父親と三人で連れ立って森でキノコ狩りをしている時、踏みしめた足元の枯れ葉のかさかさいう乾いた音、父親が真っ赤な毒キノコを足で踏みつぶす時の湿った植物の鈍くくぐもった音、『エル・スール』(1983年)での父親が木の床に立てる革靴の硬いこつこつという足音、などいくらでも記憶に残っているシーンを列挙できそうで、ある種のヨーロッパ映画*3を観ていると、音と映像とが互いに混じり合って、映画という総合芸術にしか為し得ない瞬間を切り取っていることに気が付くのだ。こういった鋭利な音が画面に溢れているーーまず音を思い出してからそれに重なるようにその映像を思い出す、というイメジは、何故か日本映画やハリウッド映画からはほとんど感じ取れず、ヨーロッパ映画に特異なもののように思う。湿気が少なく、空気が乾燥している気候というのが映画においての音の伝わり方にも影響があるのだろうか、それとも、ただ単に録音技術の問題なのか......?、とか、何とか、そんなことをつらつらと思い巡らしながら家路に着く。

*1:もう一人は勿論ビクトル・エリセですがこちらの監督は悲しいかな!滅多に作品を撮らないのでほとんど実質一人といったところ。そういえば、エリセ=キアロスタミ往復書簡における短編作品はいつになったら観られるのか知ら?

*2:生涯で最も好きな映画10本を選べ、と言ったら確実に入る『アブラハム渓谷』(1993年)その覚え書き→(id:el-sur:20070416)

*3:例えば、ジャン・ルノワールの映画における幸福としか言い様がない食事のシーンなどを観ていると、何故あんなに大きな音で食器ががちゃがちゃ鳴っているのかと思ってしまう。