しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


なんやかんやですっかり間があいてしまった、世田谷美術館「福原信三と美術と資生堂展」の感想めいたことだけれども、一等印象に残ったのは、筆遣いが小出楢重みたい、と思った川島理一郎「セーヌ河の景(ポンヌフ)」と野島康三を巡る展示(あの細川ちか子のポートレートの目!)のいくつかと、福原信三の、品のよい、やや神経質そうな顔立ちと、それと何より「おお!」だったのは、福原信三と一緒に記念写真に収まっている人物の一人に東山千栄子の妹・中江百合が居たことだった。白黒写真の中でにっこり微笑む断髪の中江百合は、目のくりっとした意志的で聡明そうな顔立ちのモダンガールで、岡田桑三の本で読んで想像した通りの女性であった。千田是也にドイツ語を習っていた中江百合は、姉の千子(のちの東山千栄子)を築地小劇場に誘い出し、女優・東山千栄子の誕生に一役買った、というくだりを読んで、わくわくしたことを思い出す。



岡田桑三をめぐる中江家周辺の人々(中江百合に渡辺良に東山千栄子)それに、大橋家周辺の人々(ささきふさに山田耕筰)。こういうジャンル横断的な人のつながり*1を目撃する時はいつだって胸が高鳴る。そういえば、海野弘先生も過日のトークショーにて、1920年代〜30年代というのは「あらゆるジャンルの芸術が互いに交錯していた時代」と述べていて「そうそう!」と深く頷きながら聴いていたのだった、だから、私はこの時代にこんなにも惹かれるのよ!と天に向かって叫びたくなるような気持ちである。



ささきふさと言えば、相も変わらず続いている「英パン探し」の最中に読んだ『映画時代』(1928年10月号)の「岡田時彦・鈴木伝明・中野英治 座談会」(隣にやや小さいフォントで「山内光」が載っている)では「日本代表的美人選出」なんていうお題で、中野英治が「佐佐木ふさなんて人はいいですね」と言い、それに応える形で山内光(=岡田桑三)が「あの人の好みはいいですね」と、さも特に知り合いでもないように、さらりと言っているのが可笑しい。岡田桑三=山内光はささきふさと友達だったというのに!



断髪のモダンガール・ささきふさで思い出すのは、岩崎昶『映画が若かったとき』(平凡社)に出てくる、当時二十四歳だった山本嘉次郎と結婚したばかりの新進の女流作家・林真珠という名で売り出していた女性で、新居格をして「日本でただ一人、これこそ正真正銘掛け値なしのモダンガール」と評された(!)折紙付きの才色兼備だったというお方。「林真珠」という名前は、海野弘先生も名著『モダン都市東京 日本の一九二〇年代』*2で挙げていた谷崎潤一郎の素敵な浅草モダン小説『鮫人』に登場するヒロインの名前と同じだけれど、やっぱりそこから採っているのか知ら?嘉次郎夫人が「林真珠」名義で書かれた文学作品は今でも戦前の『女人芸術』などを丹念に探していけば載っているのかなあ。あるとしたらぜひ読んでみたい。あと、見た目の感じから言うと、個人的には、龍胆寺雄の妻・正子(M子、魔子)も、全集に掲載されている写真を見る限りお目々ぱっちりのかなりの美人モガで心ときめいた記憶がある。



古川ロッパとレヴュー時代」の展示で見たアクロバティックに足を挙げた大きなポスターににんまりだった川畑文子のCD*3が届いたので、またしても戦前ジャズのわたしの教科書・瀬川昌久『舶来音楽芸能史 ジャズで踊って』を繰っていたら、コロンビア・ジャズバンドの楽長だった渡辺良は今度は東山千栄子の弟だった、とあって、ええー、そうだったのか!と今更ながら驚く。(←相変わらずよく読んでいない....)それから、さらに読み進めて「おお!」だったのは、川畑文子の曲『三日月の娘』『キューバの豆売り』など訳詩の多くを何とあの森岩雄がやっているのである!キャー、こんなところで森岩雄の名前に出会うなんて!とまたもや興奮。森岩雄といえば、もちろんのちにP.C.L.を経て東宝の社長になった人だけれど、前述の岩崎昶の本では、若き日の映画青年・森岩雄とその周辺の人々についてかなり詳しく書かれており、日活現代劇のブレーン的存在だった「金曜会」や古川緑波や内田岐三雄が遊んだという異国情緒溢れる神戸の街や英パンもちょくちょく遊びにいってた香櫨園時代のキネマ旬報社に思いを馳せていたところだったので、何ともタイミングがよく「こんなところで」これまた嬉しい発見であった。

*1:ガートルード・スタインのサロンとか!今でも心ときめく。

*2:ISBN:9784122048607

*3:ASIN:B000HRLV0Y