しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


週末記。



金曜日、フィルムセンターにて川島雄三『特急にっぽん』(1961年)を観る。原作は獅子文六『七時間半』。『珈琲時光』や最近観た『足にさはった女』、電車の映画はやっぱり観ているだけで楽しくて好きだ。驚くべきはこの映画が製作された当時、東京ー大阪間は六時間半もかかっていた、とのこと。(獅子文六の原作のタイトルは『七時間半』だが映画の中では所要時間は六時間半ということになっている)フランキー堺扮する食堂車のコックと、団令子扮するチーフ・ウェイトレスとの戀模様を軸にその間に車内で起こる珍騒動を描いているのだけれど、フランキー堺の身体が大きいのにきびきびした動きが流石に喜劇役者だなあと思う。沢村貞子小沢栄太郎が上手い。それにしても、若い婦女子ってのは集団になるとああも無個性になるものか。群れてキャーキャー言っているのを観ると誰もが皆ほとんど無意味なことを言い、顔形まで何だか同じように見えてくるから不思議。映画の方はそれなりにおもしろかったのだけれども。川島雄三は『洲崎パラダイス』『銀座二十四帖』『喜劇・とんかつ一代』などあと何本かは観るつもり。



土曜日、早稲田大学演劇博物館にて「古川ロッパとレヴュー時代ーモダン都市の歌・ダンス・笑いー」を観る。演劇博物館にははじめて行ったのだけれど、なかなか素敵な建物なのだなあ。歩くと綺麗に磨き上げられた木の床がみしみし、と音を立てる。ロッパの自筆の原稿やノートブックに書かれた日記を観る。ロッパの字!ったら何て几帳面な字であることか、びっくり。こんな字を書く人なんだ。あの大きなどっしりとした体格からはおよそ想像できないようなちまちました丁寧な字がノートブックをぎっしり埋め尽くしている。でもこんな几帳面な字を書く人だからこそ、あの長きに渡って毎日毎日日記をつけていたんだなあと合点もいく。まだ『古川ロッパ昭和日記』の戦前篇*1と戦中篇*2の途中までしか読み進めていないけれど、映画の中でしかお目にかかったことのないあの人この人が当たり前だけれど実際に生きて生活していたんだなあというのが手に取るように判って本当に面白い。



それに、ロッパの読書家たるや凄くてこちらも目を見張るものがある。川端康成『浅草紅団』については、昭和十五年十一月六日の日記で「川端康成の『浅草紅団』を読み丁る。つまらない。」と一蹴し、野溝七生子『女獣心理』については、同じ昭和十五年十二月四日の日記で「夕方迄かかり『女獣心理』読了、中々の異色文学。」と褒めていたりする。また、小津の『戸田家の兄妹』を絶賛していたのが何とも嬉しくにんまりと読んだ。「...大船映画小津安二郎の『戸田家の兄妹』は大いに感心、トーキー創まっての傑作と思った。(中略)今日は『戸田家の兄妹』に感激し、一座の青年部に見学させることにした。」(昭和十六年三月七日)とあり、次の日の日記にも「昨日の『戸田家の兄妹』の感激をノート。」とある。手持ちのフィルムアート社『小津安二郎を読む』によると、『映画旬報』第14号には「古川緑波」名でこの映画評が載っているとのことなので機会があれば記事を読んでみたい。さて、だいぶ脱線しているようだけれど、展示の方に戻ると、川畑文子のポスターもあり、サトウ・ハチロー『センチメンタル・キッス』(1932年)の台本などもあり楽しい。廊下に展示してあった菊田一夫の追悼文が泣けて困った。その後、竹橋の近代美術館でアンリ・カルティエ=ブレッソンを観ようと思っていたのに、ついうっかり階下の図書室で昭和初期のキネ旬を端からパラパラ観ていたらどうにも止まらなくなってしまい(だって河野鷹思のモダンな松竹ポスターや、P.C.L.の宣伝広告『ほろよひ人生』『噂の娘』『三色旗ビルディング』『すみれ娘』『サーカス五人組』などを観ているだけでわくわくするのだし)結局、午後を丸々費やしてしまう、あーあ、やっちまった。