しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


エルンスト・ルビッチ『花嫁人形』(Ernst Lubitsch "Die Puppe", 1919)



有楽町朝日ホールにて「ドイツ映画祭2007」*1のプログラム、エルンスト・ルビッチ『花嫁人形』(1919)『白黒姉妹』(1920)を観る。『花嫁人形』がもうあまりに素晴らしくて!



物語のあらすじは、大金持ちの子供のいないシャントレル男爵が、その甥ランスロを跡継ぎと決め、早速、街の娘たちの誰かと結婚するように命ずるが、女性恐怖症のランスロは逃げ出して修道院に入り行方を眩ましてしまう。しかし、修道院の院長は尋ね人広告で男爵が結婚を条件にランスロに多額の持参金を与えるつもりなのを知り、持参金をせしめようと彼に人形と結婚して、ちゃっかり持参金の方は修道院に寄付するように説得する。人形師ヒラリウス(髪ぼうぼうのダリみたいな風采!)のところへ出向いたランスロは「上品な人形が欲しい」と言い、ヒラリウスの娘オッシーに生き写しの人形を買ったのだが、さて人形を運ぼうとした時、弟子の不注意で人形の腕を折ってしまう。悲嘆にくれて側にあった塗料を飲んで自殺を図ろうとするのに「お前にはこれは高価すぎて勿体ないから止めろ!」という師匠、「窓から飛び降りてやる!」と窓をまたいで飛び降りるがすぐ下は地面、とかいちいち最高に可笑しい。身代わりにオッシーが人形の振りをしてランスロに同行して馬車(この二頭立て馬車も馬の被り物を被った人間が引いている!)に乗り込む。オッシーは上手く人形になりすまし、無事結婚式を終えたが、ベッドの下から鼠が這い出てきたのに悲鳴を上げたためについに人間の娘とばれてしまう。しかし、ランスロはオッシーを気に入りハッピーエンド。



最初のシーン、ルビッチ自らがおもちゃ箱からミニチュアサイズの木やおうちやベンチやらを取り出して、舞台に並べてゆく。すると、小さなおうちのドアから登場人物の二人(ランスロとその母)が走り出てくるという設定がまず、もう素敵すぎる!これだけでハートに直撃、完全にやられました。何て可愛らしいんだろう...!



そのうち、走りながら坂を転がってゆくと着地点には池があってお約束のようにドボン。慌てて母親が引っ張りあげたものの、ぐっしょり濡れ鼠となる。すると、彼は天に向かって「太陽さん、出てきてください。僕が風邪を引かないように」と懇願する。と、ボール紙で作ったような雲がみるみる取り払われて、にこにこ顔の太陽*2が出てきて、あたりを照らし出すので、彼の服からはまるでスチーム・アイロンみたいに水蒸気がもくもくと立ち上って瞬く間に服が乾いてしまうのだ。



とにかく、遊びごころと茶目っ気と幼少の頃の親しみに満ちたおとぎの国の世界が溢れんばかりにスクリーンで展開されていて*3、ただただ幸福な気分になるばかり。そればかりでなく、清貧第一であるはずが実は飽食でケチで俗にまみれている修道士たちや、ランスロ失踪に心を痛め、重体の男爵のベッドを囲んで相続争いをする親戚たちの、膝打って笑いたくなるような、滑稽で皮肉まじりのカリカチュアなんて、まさに痛快そのもの。ああ、ルビッチの世界は何て自由で、何て豊かなんだろう。彼自身も「わたしが今まで撮った映画の中で最も想像力豊かな作品」と言っている*4し、ほんとにルビッチ、魔術師としか思えない!



わたしの好きなシーンは、ヒラリウスの頭が「身の毛もよだつ」という台詞と共に髪がみるみる逆立って心労のあまり白髪に変わってしまい、娘オッシーの結婚を見届けたハッピーエンドで、また髪が元に戻るというところ。可笑しいなあ、まるでアニメの実写版を観ているような肌触りでもある。何となくだけれど、バーレスクな感じが似ているからか、あのロシアが生んだFar-outな映画、アレクサンドル・メドヴェトキン『幸福』を思い出してしまう。とは言え、ルビッチのそれは何と言っても品が良くて粋で洗練されているので別物なのですが勿論。



この映画の記憶で一週間は幸福が続くと思えるほど素晴らしい映画!

*1:http://www.asahi.com/event/de07/

*2:マリー・ホール・エッツ『わたしと遊んで』の太陽か、もしくは『茶目子の一日』で「茶目ちゃん、おはよう、ごきげんよう」と話しかける太陽みたい!

*3:ヒラリウスの家のキッチンの壁に描かれている鍋だの、フライパンだのの絵やドアに描かれている愛らしい薔薇の絵

*4:"The Lubitsch touch; a critical study"より