しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

氷見敦子、長岡三夫  ○ 征矢泰子  △

 

北川朱実『死んでなお生きる詩人』(思潮社)を読んだので、以下やや怒りながらメモ。

主観的すぎる。感動の押し売りというのか。この内輪サークル感!

だから詩の世界はダメなんだと思ってしまう。〜と言ったのは〇〇だが、とか、〇〇は〜と書いたが、とか、ほとんど関係のない固有名詞が引用されるのも、それが地の文を補完する的確な使用ならばいいのだが、たんなる知識のひけらかしのようにしか見えない。内田百間などの名前を出す必然性が感じられない。「美しい」という言葉を簡単に使いすぎる。やたら表現が大仰。筆がすべりすぎている。評伝やポルトレならもっと抑えた筆致で客観的に書くべき。思いがつよすぎるあまり、対象にべったり寄りすぎて盲目になってしまっている。あと、急に著者の話が挟み込まれるのにも首を傾げる。友人知人たちはどうやらこの本を好きらしいけど、わたしはよくないと思った。取り上げられている詩そのものというよりは、書き方が。

こういう内輪でしか通じない言葉をつかった閉鎖的な詩の世界に見切りをつけ、みずから離れていった平出隆がわたしは好きだし、吉岡實の言うように、詩の読者は数十人でいい。近しい人たちがいいと言っているものをまったくいいと思えないという事実はいっそうわたしを孤独にさせる。いや、いつだってひとりぽつんと立っていたではないか。なにを今更。というか、わたしはなぜ他人の書いた文章にこんなにも目くじらを立てているのか。詩が好きだからか、それとも、やはり嫌いだからか。愛と憎しみ。じぶんでもこの心の動きがよくわからない。しかし、なんとも腹の立つ読書であった。氷見敦子の詩はまとめて読んでみたい。征矢泰子の詩は悪くはないけど甘ったれたようなところがよくない。