しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

ローベルト・ヴァルザー作品集2『助手』(鳥影社、2011年)*1を読み終える。


玄関のベルを鳴らしドアを開けて「宵の明星館」に入っていった若者ヨーゼフ・マルティは、最終頁でスーツケースを地面から拾い上げると人生の落伍者ヴィアジヒとともに館を出てゆく。ちょうど円環をすっかり閉じてしまうように。宙ぶらりんのモラトリアムにある若者がやって来ては去ってゆく。ただ過ぎゆくもの。一過性としての存在。まるで何ごとも起こらなかったかのように新しい年は明けて陽はのぼりそして人生はつづく。


ヴァルザーという奇妙な散文作家のひとつの特徴としてあげられるのは、均衡を重んじることのない強弱の付け方だ。そのバランスを欠いているさまが何だか危なっかしくてひやひやする。それが全編にわたって不穏な響きを醸しているので、読んでいて不思議でへんな心持ちになる。物語の上でさして重要でもなさそうな事柄に筆を費やすことも屡々あるし、滔々とした主人公のお喋りや手紙文がえんえんと続く場面もある。しかし驚くべきかな、均衡を重んじることがないと先にわたしは書いたのだけれど、ヴァルザーのおもしろいところは、リリカルで詩的なおもむきとつっけんどんでそっけない散文的なおもむきとが、この視点のみについて言えば、驚異のバランスで共存していることなのだ。


大気現象や自然の描写などだけを読んでいると――例えるならば、フランシス・ジャムやアルベール・サマン、もしくはジャン・ルノワールを挙げてもいいかと思われる――何て甘美な記憶と夢想に彩られた感覚が立ってくるのだろうとうっとり陶然となるのに、次の段落でその余韻に浸ることを公然と拒むかのように突如として冷淡で鋭いひとつの観察眼となったりする。とは言うもののやはりヴァルザーの魅力のひとつは、頭がぼうと火照って疼くような眩暈にも似た自然に対する独特な感覚の開かれかただろう。五官を研ぎ澄ませるのみならず、散歩のもたらす身体感覚や遊泳のもたらす皮膚感覚など、およそいっさいの感覚することの歓びに気づかせてくれるのがヴァルザーの文章なのだ。彼の文章を読んでいると「どの感官もまどろんでいてはならぬ」というノヴァーリスの言葉を思い出してしまう。

太陽はなんと明るく照り、人々はなんと慎ましく行ったり来たりしていることだろう。こうした動き、立ったり歩いたり、行きつ戻りつする中に紛れることができるのは、なんて素敵なんだろう。天はなんと高く、陽光はあらゆる物体、身体、動きの中でなんとゆったりと寛ぎ、影がなんと軽やかに喜ばしく、その合間をかすめ過ぎていくのだろう。(p.124)

そしてまた素晴らしい天気が戻って来た時、それは人の心を何と幸福にしてくれたことだろう。自然の中にとりわけ三種類の色が見られた。白と青と金色。霧と太陽と空の青。とても、とても洗練された、高貴でさえある三つの色。(p.156)

朝から晩まで、まったく同じように明るくて暗いまま、午後四時が午前十一時と同じ世界像を呈示し、万物が心安らかに、いぶした金色に染まって少しだけ哀しげに横たわり、色彩は静かに自分自身の中に退き、いわば自分を心配して夢見ているようだった。(p.173)


夏の季節を頂点としてそのうつろいとともに状況がひたひたと悪化してゆくブルジョワの家族。憂慮がカーテンの隙間から入り込んでくる。そこにトープラー家の美しい子ども/醜い子どものコントラストが挿入されることで、じょじょに物語は不穏な様相を呈するようになる。ひとりは砂糖菓子のように愛らしく誰からも可愛がられているドーラで、もうひとりは粗野で躾が悪く家中の誰もが忌み嫌っているジルヴィという名の少女。ジルヴィはここでは忌避すべき没落の象徴として描かれている。物語が進むにつれドーラよりもジルヴィの描写が目につくようになるのは、一家のそう遠くない未来を予言しているような感覚がある。


『タンナー兄弟姉妹』と比べ物語にある一定のまとまりがあるのでその分読みやすく、ヴァルザーの魅力もじゅうぶんに味わえるので、はじめて彼の文章に触れる読者にはうってつけの作品かも知れない。けれども、とりとめのなさが魅力の『タンナー兄弟姉妹』の方がよりヴァルザーらしい小説のような気がするので、わたしはこちらに畢竟惹き付けられてしまうのだけれども。


と言いつつも、最後の頁にあるトープラー夫人の言葉に心を掴まれて少し涙が滲んでしまったことをこっそり告白しておこう。

きっとうまく行きますよ、そう期待して願っています。私にはもうわかります。いつも少しだけ謙虚でいるんですよ。謙虚すぎてはいけません。これから、いつも独りで頑張らなければならないでしょう。でも決していきり立ってはいけません。最初に悪意のある言葉が聞こえても、構わず返事をせずに放っておきなさい。最初の激しい言葉の後には、きっとすぐに慎み深くて柔和な言葉が続きますから。感じやすい心を平静に克服することに慣れるのですよ。(p.288)


初夏には刊行されていたのにすっかり読むのが遅くなってしまったヴァルザーの新刊だけれど、一年の終わりの月に、とりわけこの2011年の締めくくりに、こんな言葉を読むことができたのはかえって良いことだった。きっとうまく行きますよ、そう期待して願っています。わたしも、そう期待して願っています。