しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


一千九百二十九年の"CINE"から二千九年の"Donogo-o-Tonka"へ



夏休み最後の日は、朝から国会図書館にてせっせと閲覧三昧。ブルトンアラゴン、エリュアールなどフランスのシュールレアリスムを積極的に紹介した上田敏雄・保の『文芸耽美』、名古屋のモダニストにしてシュールレアリスト・山中散生の『シネ』、古賀春江阿部金剛東郷青児、衣巻寅四郎(衣巻省三の兄)らの絵画作品を掲載し、単なる詩誌にとどまらない総合芸術誌としての色あいを帯びていた上田屋書店の『FANTASIA』、美術グループ「エコール・ド・東京」の機関誌『Ecole de Tokio』、「ナゴヤ・フォトアバンガルド」の山本悍右による『夜の噴水』などいずれも戦前の貴重なモダニズム雑誌が収録されている『コレクション・都市モダニズム詩誌 第3巻 シュールレアリスム』(鶴岡善久編、ゆまに書房、2009年)*1 をようやく閲覧することができた。


『文芸耽美』第2年8月号(1927年8月号)には、北園克衛稲垣足穂が参加したチューリッヒ・ダダ的な詩誌『ゲエ・ギルギガム・プルルル・ギムゲム』にも名を連ねている「少年ダダイスト」こと田中啓介の「こはれかかった話」という掌編が掲載されているのだけれど、オマージュと呼ぶのが躊躇われるほどの、今だったら確実に「盗作」疑惑をかけられそうなもので、ちょっとびっくりした。何しろこの作品は足穂が『G・G・P・G』の第2巻第5号(大正14年5月)に発表した「バンダライの酒場」のほとんど美味しいとこ取りといった体裁なのだ。文中に出て来る「バンダライ酒場」「モル氏」「エスセチスト」などの名詞にとどまらず、"BANDALY'S MERRY-GO-ROUND"と三日月型の広告文字までがそっくりそのまま載っている......!うーん、ユルいというか何と言うか、いい時代だったんだなあ。ちなみに、この田中啓介が第2年第4号(1927年5月号)に書いている「月夜とTABACO(ママ)」もタイトルからしていかにもタルホだし、同年11月号の徳田戯二による編集後記には「田中啓介君タルホ系としての作風は既に人の知るところ」という記述も見られるので、田中啓介のタルホ・クレイジーは同人も認めるところだったのだろうか。その他、この詩誌には『シネ・テアトル』という映画誌?を主宰していた頃の近藤東が「実写映画(覚え書)」という文章を寄せているのも興味深い。『シネ・テアトル』はもちろん未見ですが、おそらくジガ・ヴェルトフについて書かれたと思われる「ヴェルトフ!」なる文章も発表予定、とあり、詩人・近藤東の映画論も読んでみたいなあと思う。


そして今回のいちばんのお目当て『シネ』である。1929年2月、山中散生を編集兼発行者として名古屋広小路の「シネ刊行所」から創刊された。発売所が「東京・新宿 紀伊國屋書店」となっていることからも判る通り、名古屋の地方詩誌というよりは、より広範囲で読者を抱えていたと見て取れる。創刊号の表紙には「藝術のMEMORANDUM★★ CINE」とあり、「アラベスクの化粧美学」「ドノゴトンカ市の案内図」「エッフエル塔の色情幻覚」「モンテカルロの煙火術」「モンパルナスの艸葩」「ジャズフラフラナンセンス」というイメージの言葉遊びのような文字が踊り、"par LES ARLEQUINS MODERNES QUI cherchent le mot perdu-----"とある。「モダンなアルルカン、失われたことばを探して」といったところでしょうか。ここで「おっ!」と思うのは、その中に「ドノゴトンカ」という文字が出て来ることだ。この「ドノゴトンカ」は門田穣・賀掘譲二による「松坂屋の展望図案」というコラージュ風の作品?の中にも"MERRY GO ROUND for Donogoo Tonka City"とあるのが見えるし、「殿御豚家」(どのごとんか、とルビがふってある)として奥付のページのコントふうの小さなコラムにも登場する。当時の百貨店はモダン都市文化のひとつの象徴だけれど「三越」でも「松屋」でもなく、「松坂屋」というのがいかにも名古屋発の雑誌という感じで微笑ましい。

私の耳は貝の殻

一九二九年一月五日、アムステルダム発、国際総合通信に依れば、極東の植民地で五六年前レモネードの泡から生れた幻覚病患者諸氏から絶大の信仰を捧げられていた有名なるぢゆうる、ろめん氏は第三次パリコンミユンに於ける結議(ママ)の結果詐欺罪並びに欺證罪に問はれて「殿御豚家」(どのごとんか)へ流刑にされ、ぢやん、こくとう氏は黒ん坊の細君に訴へられた結果貞操、蹂躙罪でちくおんきのラッパの中へ幽閉されて、目下エッフェル塔上に曝されているので、時節柄アルプス颪に咽喉をやられて、切角(ママ)午后になって風が凝固したのに、縄梯子は依然として空間にしみついている由..........(後略)

岩佐東一郎や城左門を中心とした詩誌『ドノゴトンカ』の創刊は1928年5月だから、名古屋のモダンボーイたちも、もしかするとこの詩の雑誌を読んでいたのかもしれない、という気もする。けれども、創刊号の目次(「シネマ的精神の生誕」「ポエジイ・シネマティック」「俳優論」「シネマメモランダム」)を眺めていても判るように、『シネ』という雑誌の性格上、やはりこれはジュール・ロマンのキネマ・シナリオから採っている*2と見なすのが自然かもしれない。


という訳で、ええと、何が言いたいのかというと、二千九年の『ドノゴトンカ』の創刊号が待ち遠しい!ということなのです。

*1:ISBN:9784843328859

*2:「そもそも"ドノゴトンカ"はフランスのジュール・ロマン(1885-1972)作のキネマ・シナリオ"Donogoo-Tonka, ou, Les miracles de la science, conte cinematographique"(Paris: Gallimard, 1920)にちなむ」(扉野良人編『ドノゴトンカ』創刊準備号 りいぶる・とふん、2008年)