しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


京阪神遊覧日記その二:「けれども三昧」ー待兼山で『大大阪観光』(1937年)を観る



二日目は駆け足での大阪観光であった。阪急宝塚線に乗って、大阪大学総合学術博物館にて開催中の《昭和12年のモダン都市へ 観光映画「大大阪観光」の世界》を観に行く。成瀬作品の名キャメラマン玉井正夫の撮った『大大阪観光』という映画が存在することをはじめて知ったのは、橋爪節也編『大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』(創元社)の中においてであった。それからというもの、いつかこの映画を観る機会があればいいなあと思っていたのを、今回あっけなく願いが叶って戦前の大大阪遊覧を目で楽しむことと相成った、のだけれども.......。



映画は水都・大阪を代表する中之島地区からスタートし、挿入曲に小津もよく口ずさんでいたという「マイ・ブルー・ヘヴン」のメロディが流れたり、アーチ状の天井にモダンな電飾が映える心斎橋駅の地下鉄開通の様子には、わくわくしたけれども、何かがおかしい。見終わっても、なぜかしっくり来ない。個人的には、大大阪と云えばまずは心斎橋なのだろうと思っていたのだけれども、心斎橋がほとんど映画に登場しない(と、思ったのだけれど違うのかな)。モダン大大阪を代表する、あの素晴らしきアール・デコとゴシックとビザンティンまでがないまぜになった、大丸のヴォーリズ建築や村野藤吾が手がけたそごうの直線的なモダン・デザインなどがまったく出て来ない。丹平ソーダファウンテンも出て来なければ、森永キャンデーストアーも出て来ない。そのかわりに映し出されるのは電気科学館や住吉大社天王寺動物園のチンパンジーなのだ。



要するに、見終わってどうもしっくり来なかった理由というのは、いよいよキナ臭さを増してくる1937年という時代背景も当然加味しなければならないけれど、「大大阪」観光映画と称しつつも、かなり意図的に撮影対象を選択しており、多分にプロパガンダ映画としての役割も果たしているのが垣間見えたことで、それゆえに、なんだか少し後味が悪かったのだった。ううーん、と唸りつつも、そうか、これは大阪電気局と大阪市産業部による製作なのだということを考えれば、別に「大大阪」と云ったところで「=モダン」と言う訳ではないのだし、と納得せざるを得ないのだけれども。うーん、でも、これだったら、個人的な好みとしては、溝口健二の凄まじいまでの傑作『浪華悲歌』を観て、その中でモダン大大阪の細部の美に目を凝らすほうがよほど愉しいなあ、と思う。或いは、ネオンサイン輝くモダン都市の電飾をモンタージュしたものであれば、NFCマキノ雅弘特集で観た『学生三代記 昭和時代[マキノ・グラフ版]』(マキノプロ、1930年)での芦屋カメラクラブばりの新興写真を髣髴とさせる一連のシーンの方が遥かに素晴らしい。とはいえ、この映画が戦前の大阪を写した第一級の映像資料であることには変わらないのだけれども。