しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

週末お出かけメモ。


植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス(世田谷文学館
 http://setabun.jp/exhibition/uekusa/



がらくた集め、切手、マッチラベル、切り抜き、マックス・エルンストの影響を受けたコラージュ。
他愛のないものを偏愛して、役にも立たないものばかし夢中になる。
こういう「ヘン」な人があと3倍くらい居たら日本はもっとおもしろいのに。



自宅の書斎で本の山に埋もれてご満悦、買ってきた戦利品を床に並べてご満悦。
好きなものに囲まれている植草甚一はまるで子供みたいに嬉しそうな顔をしている。
なんだかそんな彼の表情が可笑しくて一人でにやにやしながら展示を見る。



毎年お手製の年賀状が凝っていて素敵。木版からコラージュ、コクトーそっくりの落書きのようなイラスト。趣味が良いとはとても言えない、派手な昆虫のブローチ、凄い柄のネクタイ、安っぽい大きな指輪。他人にどう思われるかなんて、これっぽっちも気にしていない。笑っちゃうくらい、これぞイッツ・マイ・スタイルなお洒落道。いやはや、ここまでいったら気持ちが良い。オーダーメイドのスーツの裏地なんてペイズリー柄だった!根っからのお買い物大好きシティボーイ、何も売っていない道は歩く気がしないという。



雑誌に寄稿した様々なコラムが展示されているのを一度に眺めながら、はたと気づいたのは「そうか、蓮實重彦が映画評論などの文章でよくやるあの矢鱈長たらしいタイトルの元祖は植草甚一だったのか!」ということ。さらにその真似を金井美恵子はやっているのだけど。って、どうでもいい話ですが。あと、そうだ、JJ氏のがらくた集めと金井美恵子で思い出したけれど、何年か前の『彷書月刊』(特集・少女たちの小部屋)のアンケート「少女時代の私の宝物」という質問で金井美恵子が「がらくたの類いはもっておりますが、それらをいつくしむといったようなことはしておりませんので悪しからず」とか何とか、手元にその号がないのでうろ覚えだけれど、相変わらずの素晴らしい毒舌振りを発揮していたのが妙に印象に残っているのです、というのは、さておいて。



JJ氏というと、ブローティガンはじめ1960年代アメリカ文化に夢中だった学生時代は、もっぱら『宝島』時代や晶文社の本における植草甚一に興味があったのだけれど、今だったら、断然、震災後の青年期から東宝淀川長治と出会ってから飯島正らと一緒に『キネマ旬報』『映画之友』などをやっていた映画時代のJJ氏に興味がある。舶来ものが大好きだったJJ氏はどうやら日本映画にはあんまり言及していないようなのだけれど、その辺りの話が気になるなあ。それとモダンガールだったというお姉さんの敏子さんのことも気になる。



本棚に古い『太陽』(1995年6月号・特集・植草甚一)があったので、何年振りかに引っ張り出してぱらぱら見てたら親友だった淀川長治のインタヴューが載ってておもしろかった。

本を買う話といったら、昔、甚ちゃんに神田についていってくれるかって、言われてね。甚ちゃんと神田に行ったら、帰れないですよ。仕方がないから、じゃあ行きましょう、って。(中略)そのうちね、ご自分のポケットから鉛筆と消しゴムを取り出してね。それで本の値段見てね、値段付け替えてるの。新しい値段にね、五千円って書いてあったら三千円に書き換えてるの、ぼく、ヒヤヒヤして「そんなことしたら、アンタ本屋に怒られますよ」って言ったの。「ええ、淀川君、いいんだよ。値段はこのくらいです」って、悠々たるものですよ。「これは取り過ぎです。これが相当です」って。そしたらさ、店の奥のほうでね、主人が見てるんです。慣れてるんですよ、店のほうも。

いいナア、この話、好きだ。


と言いつつ、今回何が一番の衝撃だったって、植草甚一展ではなく、二階の常設展示にあった、赤木春恵から贈られたという森茉莉愛用の、やたらデカくて、悪いけど悪趣味としか言い様がない(!)チャウチャウのぬいぐるみだったのですが。森茉莉の独特の美学に貫かれた(他人からは容易に解せない)贅沢貧乏も植草甚一に通じるものがあるよな、とかつらつら思いながら文学館を後にする。



地面に落ちたどんぐりをみしみし踏みながら、旧前田公爵邸のレンガ造りの建物をうっとり見遣って、駒場公園内の近代文学館へ。



・特別展・長谷川時雨日本近代文学館
 http://www.bungakukan.or.jp/



隣接の「川端康成の本」展示の方(『乙女の港』は版違いで何冊も、『狂った一頁』のスチル、『モダンTOKIO円舞曲』や太田三郎挿絵の『浅草紅団』もちゃんとあった)が映画のスチルも一緒に展示したりと力が入ってるんじゃない?てな感じでしたが、それでも『女人芸術』廃刊後の『輝ク』などの資料を観られたのはよかった。『動物自叙伝』の挿画は「大正シック展」で惚れ惚れしてしまった「踊り 上海ニューカルトン所見」(1924年)の山村耕花だったのでわくわく。JOAKのニュース演芸台本『爽やかな午後』(1935年9月29日放送)の出演者が柳家三語楼、千葉早智子藤原釜足、柳亭春楽)で木村荘十二『ほろよひ人生』(P.C.L.、1933年)コンビが出て来てにんまり。



夫の三上於菟吉の『激流』の原稿も展示されていて、「もしや、これは日活時代に英パンが出ていた映画の原作!?」と思って家へ帰って急いでjmdbを調べてみたら、キャー、やっぱりそうだった!!三上於菟吉は村田実が日活大将軍で撮った岡田時彦主演の『激流』の原作者であったのだった、知らなかった。ここで『激流』の原稿と共に、日活映画『激流』(1928年)のスチルでも一緒に展示されていればもっとずっと素晴らしかったのにナア、と、英パンのスチル見たさに勝手にそう思う。



『桃』(1939年、中央公論社)の愛らしい装画は梅原龍三郎でこれまた素晴らしかった。昔の本は本当に凝っていてほれぼれするような美しさだ。