しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや



清水宏『恋も忘れて』(1937年・松竹大船)



溜池のダンスホール、フロリダでナンバーワン・ダンサーだった「ミッチー桑野」こと桑野通子が主演していて、彼女がダンスホールで踊る姿を観られる映画、しかも、舞台設定は岡田時彦も一時期住んでいた横浜・本牧のチャブ屋(ってことは、石津謙介や英パンや中野英治が通ってた「キヨ・ハウス」がモデル?)だということで、今日もマークタワーの通路を早歩きで通り、ネオン輝く円山町の坂を登って、シネマヴェーラの最終回上映にすべり込む。



桑野通子を知ったのは、おおよその例に漏れず、小津安二郎『淑女は何を忘れたか』(1937年)に出演していたのを観てからなのだけれど、スタイルが良くて洋装のよく似合う颯爽とした佇まいとはきはきした物言いとが、およそモダンからかけ離れたもっそり田舎娘の田中絹代や、日本髪のよく似合う旧時代のスタアの栗島すみ子などと比べると、新しい時代の尖鋭的な近代娘、まさにモダーン・ガールという感じで、とても好感が持てたのだった。好きなシーンなので何度も引用してしまうけれど、突貫小僧と葉山正雄が地球儀を廻しながら国名の当てっこをしている時に彼女が部屋に入って来て、目をつぶったまま地球儀のてっぺんを指差し「北極」と言ってのけて、二人の子供たちに「ずりいやあい!」と言われるとこなんざ、くるくるとよく動くぱっちりした瞳にクレバーで機転のきく茶目っ気、といった彼女の魅力がとてもよく表れていると思う。



さて、清水宏のこの映画。同じ年に小津が撮った前述の『淑女は何を忘れたか』と同じく、コンビを組むのは関口宏の父であるところの佐野周二。こんなモダンな雰囲気の佐野周二を観るのはじはじめてかも。背も高いし、ソフト帽を被るとなかなかの二枚目に見える。話は脱線するけれど、昔の日本人男性は皆帽子を被ってて良い。帽子を被ると男振りがたいてい二割増しになると思うのだけれどなあ。誰でもそれなりにジェントルマンに見えるし、夜のペイヴメントに映り込むシルエットにも素敵に映える山高帽子やソフト帽を被る習慣(あと、ステッキもね)がなくなってしまったから、日本人男性はお洒落でモダンじゃなくなったような気がする。ノーブルで素敵だと思うんだけどなあ、特に山高帽子は。それに、百けん先生みたいな丸眼鏡をかけたら完璧ね、って、それいつの時代の人よって感じになっちゃうのか...ああ、今は2007年でした、閑話。



さて(なかなか本題に入らないのね)、映画の方だけれど、清水宏の作品としては特に良い出来ではないとは言うものの、桑野通子の魅力を知るにはうってつけの作品。楽しみにしていた、彼女がダンスホールで一人踊るシーン(マキシ丈のドレスもドレープがたっぷりで素敵!)も美しかった。さすがにフロリダのナンバーワンという感じで、フロリダという名のモダン東京の社交場に憧れを抱いている者としては、これが観られただけでもほくほくと嬉しい。写真家・濱谷浩の撮った「東京赤坂、フロリダダンスホール、鏡を見るダンサー」(1935年)を眺めながら、さらに思いを馳せるフロリダ。『有りがたうさん』などで数多く共演した上原謙はフロリダでのダンサー時代の桑野通子と一度だけ踊ったことがあるらしい。それと、お約束のお召し物チェックでは、彼女が着ていた黒地(多分....白黒映画だから判らないけど)に大輪の白い花(百合?)をあしらった着物にきゅっとペイズリー柄のようなアール・デコ調の細帯を締めていてとても素敵だった。アール・デコ調の細帯だと素材はモスリンかなあ?きっとデコ帯にはお約束の黒地に蜜柑色、それにうす紫色が入っているだろうなあ、それともミント・グリーンか水色かなあとか色々想像して愉し。



ちょっと気になったのが、この映画音楽も小津の『淑女は何を忘れたか」と同様に、謎なハワイアン・ミュージックがかかるところ。リズムはワルツっぽいのに、のっかってくる音(スチールギター?)が何故かハワイアン。ハマが舞台だからなの!?と思ってjmdbを早速見てみたら、音楽はやっぱり同じ人(伊藤宣二)だった。うーん、謎。



それにしても、どうせだったら、桑野通子のデビュー作『金環蝕』(1934年)との二本立てにしてほしかったなあ!シネマヴェーラ。そうしたら、彼女が森永キャンデーストアで買い物をするシーンが観られたのに、と少し残念ではありますが。あ、でも素晴らしき『港の日本娘』が観られただけでも本当に本当にシネマヴェーラには感謝なのだけど。



三週連続でいそいそとモーニングショー通い(←ほんまにようやるわ、と思わず口をついて出るのは何故か関西弁)、明日は『不壊の白珠』を観る予定。