しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


親密な空間、色彩の旅人 鈴木信太郎展(八王子市夢美術館)


よいお天気だったので、えい、と意を決して中央特快に飛び乗って八王子まで行く。はじめての八王子だったけれど意外と近かったので拍子抜け、なーんだ、別に「意を決して」行くほどの遠さじゃないのだな。chiclin et mitsouなどで年に数回は行く用事のある国立の、ほんの数駅先なだけなのだった。


展示は思ったとおりの素晴らしさで、ああ、やっぱり来てよかったと思った。観ていて、もうひたすらに頬が緩んでしまう。「草上の桃」(ああ、このタイトル!)という作品での、うす黄色にほんのり紅をさして、その柔らかな肌を覆う産毛までが目に浮かぶようなまあるい桃の、何という愛らしさ。わたしがルノワールを引き合いに出すときは、それは最上級の褒め言葉ということなのだけれどーというか、ルノワールが最上級だから当たり前かーほんとうにまるでルノワールの映画を観ているような歓びと輝きと光がそこにはあった。ひたすらに頬が緩む。


こんもりとした紫陽花、赤いばら、ざくろ、ざぼん、人形。鈴木信太郎は自分の大好きなモティーフを繰り返し描いたのだという。だからいつもそれらの絵には描く喜びが溢れかえっている。また、そのモティーフが素敵だな、いいな、と思ったら、構図の中に素直にそのまま並べてしまう。だから、人形の隣には「ある時、麻雀のパイの表の象牙色と裏の茶色が美しいと思った」から麻雀のパイを並べて描いてしまう、この何という自由さ!そこには何の戦略も、上手く見せようとする素振りも見えてこない。好きだから、素敵だと思うから、描きたいから、描く。単純だけれど、とても難しい、この描くということの幸福そのものを体現している画家が鈴木信太郎その人だったのだと思う。


絶筆となった最晩年の絵までも色彩のマジックはますます増していくような感じがしたけれど、わたしは1930年代の作品群が大へん気に入る。『草上の桃』『象と見物人』(1930)、モダン都市東京が描かれている『東京の空』『靴屋』(1930)、二科で絶賛された『丸い池のある風景』(1935)『緑の構図』(1936)、思わず吹き出してしまう『麻雀と人形』(1935)などなどどれも素晴らしい。やっぱりわたしにとって30年代は避けて通ることのできない魅力をたたえているよう。


でも、水彩も捨てがたいんだよなあ。『壷』(1970年頃)の細部の美しさと自由さ、『林檎園』(1961)の光、それに挿絵もやっぱり愛らしい。『カラー版日本文学全集8 夏目漱石(坊ちゃん)』の挿絵のすっとぼけたような表情ったら!これらは、「こけし屋」や「マッターホーン」の包装紙でもおなじみなのだけれど。


という訳で、早いとこ、あの愛らしい包装紙と缶を手に入れるべく、わたしは学芸大学「マッターホーン」と西荻窪こけし屋」に行かねばならない。「マッターホーン」のサロンには絵も飾られているそうだからこれまた楽しみ。


*画像は東山千栄子(!)が『桜の園』のラネーフスカヤ夫人の扮したのを描いたものだそうです。