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fragile, handle with care:
via wwalnuts叢書01: 平出隆『雷滴 その拾遺』*1
郵便受けを覗いてみると、百舌の切手を貼った白い封筒が届いていた。
差出人住所は、"iaa at tama art university"気付になっていて、その下に銀色のペンで、平出隆氏のイニシャルであるところの"th"の署名(やや弧線を描いたような)が入っている。封筒の裏にも、エンボス加工でイニシャルの"TH"の文字が浮き上がっている。洋封筒のようだけれども、日本語縦書きの書物だからだろうか、イニシャルもちゃんと縦に押してある。陰影のみで封をしているのが、厳かな封蝋よりもシンプルで清楚な印象で、この8頁のささやかすぎる書物=手紙に相応しい仕様だと感じた。
わたしはこの書物を直接に版元から購入したので、封筒のおもて、書名と著者名のあいだのスペースに住所が印字されている。数字のフォントが昔のタイプライターの文字のように見える。"1"の文字の部分だけ、どうしたことか、インクが滲んでやや膨張しているようにも見える。ちょうど万年筆のブルーブラックのインクを補充してすぐにペンを走らせた時に屡々なるような。この効果はわざとなのかな?わざとだったら凄いな。
書物の表紙にひっそりと添えられた加納光於氏による図像は何とも不思議なかたちをしている。最初、ネット上の写真で見た時は、髭が伸びた「なまず」なのかな?と思ったのだけれど、届いてみるとこれは全然違った。後ろに蝶々が止まっている、丸い薊の花のようにも見えるけれど、やっぱり"walnuts"だから胡桃なのかな。胡桃の実が弾けているところ?なのか知ら。
それにしても、何という軽やか且つ繊細極まりない造本....!
二枚の折丁の真ん中に切れ目を入れて、それを引っ掛けるようにして綴じている。糸やホチキスがまったく使われておらず、仮綴じすらされていない。まるで未綴じ本のよう。この形態が書物としての最終形なのが驚き。造本としては、まだ過程の段階に見受けられるのだ。ページ数がこれくらい(8頁)だから可能というような形態でもある。あんまりページ数が多いと、きっと紙の重みで引っ掛けた器に罅が入ったり、へたってしまうと思われるから。その意味では、この書物の綴じ方は周到に吟味されたひとつの方法と言えるかもしれない。とはいえ、わたしたちが思うところの書物とはずいぶんと見た目が異なっている。しかし、これをたんに書物というより「紙の贈り物」としての手紙だと思えば、しっくりくる気がする。簡単に外れてしまうが、簡単に元に戻せる。「紙の贈り物」か、と思いあたって、何となくふと折形デザイン研究所の仕事を思い出してしまう、と書いてみて、それもあったけれど、そうだ、もっとこれに近い雰囲気の書物があったかな、と気が付いた。ミシェル・ビュトールの《リーヴル・ダルチスト》*2。
「手紙や葉書が届くということは恐るべきことです。そうではありませんか。」(『葉書でドナルド・エヴァンズに』)
*1:http://www.wwalnuts.jp/vww/
*2:「ミシェル・ビュトールと画家たち 100の本・100の美術空間展」(1989年5月26日―6月7日、西武アート・フォーラム/主催・立教大学)の図録はずっと大事にしている一冊。池袋にまだセゾン文化の残り香があった頃だ。