しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや


昨日は、原宿のブックカフェBibliotheque(ビブリオテック*1主宰の、『鳥を探しに』刊行記念・平出隆トークショー「散文へのまなざし」を聞きに行く。昨年11月の「西荻ブックマーク」(id:el-sur:20091117)での扉野良人さんとの対話の中で、準備中のこの本のことを伺ってからというもの、刊行を指折り数えて楽しみに待っていたほどだったので、今年の1月にいよいよ刊行された時には、あの分厚い重い本をしっかと抱えて県境を横断したりして――おかげであの綺麗な本が少し黒ずんでしまったのだけれども――何処へ行くにも持ち歩き、それはそれは幸福な読書を体験したのだった。そんなことをつらつら思い返して、ふたたび平出さんの静かな語りに耳を傾けることができる嬉しさを、しみじみ噛みしめながらの得難い時間であった。


この本を編集された聞き手の山本泉さん(平出さん曰く「清らかで厳しい方」とのこと、なるほど魅力的な方でした)のお話からスタート。山本さんが平出さんに「退職前の最後の作品」をお願いすることになった経緯を話されたのだけれども、「候補が何人か居たけれど、これは、と思う書き手になかなか出会えなかったところに、偶然に平出さんの『猫の客』を読んで、言葉に対する意識の高さに感銘を受けて、最後の担当作品はぜひこの人にお願いしたい」と思ったのだそう。


印象的だった言葉をいくつか。


・平出さんのお話

「時間の助けを借りないと書けない書き手、時間が作品を書かせてくれる」
「私の文章は凝縮する部分もあるけれど、拡散する、増殖してゆく文章で、いつまでたっても終わらない」
「最後の最後まで校正を繰り返したので、作者もこの順番に読んでいない。これからも一生読まないかも」
「小説なのだけれど、小説にしたくない、という気持ちが常にあって」
「小説は「こしらえすぎない」ということを川崎長太郎から学んだ」


・山本さんのお話

(スモーキさんの仕事量、その多彩ぶりを指して)「市井の人の凄さ、かつての一流になれなかった人のレヴェルの高さは、今の一流と呼ばれる人々とは比べものにならない」
「精神が腐ったような(!)本が溢れていて、まあ、たまにはそういうのもいいんですけれど、そういう中で、自分の精神を浄化してくれるような一冊が手元にあるといい。この本はそんな珠玉の一冊になったと思っています」


平出隆の文章を読むと、選び抜かれた言葉をまるでひとつのコラージュのようにして編み上げてゆくその手腕に驚嘆するのだけれど、完成形までもってゆくのに、物凄い格闘(平出さん曰く「七転八倒」のような)があるのだ、ということを仰っていて、それは確かにそうかも知れないな、と思う。書くことの厳しさについては、例えば、名前が挙がっていた川崎長太郎澁澤龍彦という書き手の仕事の工程を、担当編集者という立場で間近に見て感じ取ったことだろうし、それはそのまま詩人で散文も書く作者の今の仕事を支える大きな財産になっているのだ、きっと。「自分にサービスするのがいちばん難しい」という川崎長太郎の言葉を引きながら、自分の満足点を高く設定して、時間をかけて校正に校正を重ねて、自分を満足させるところまでもってゆくことが、結果として、見えない読者に対しても満足してもらえるようになると思って書いている、という趣旨のことを仰っていて、平出さんの創作の秘密を草葉の陰からそっと垣間見るかのようで、読者としては嬉しいものであった。


もうひとつ嬉しかったのは、装画を飾ったおじいさまの平出種作氏が手がけた植物細密画の掲載されている原本と遺品として平出さんの手元に遺された鳶色の革装袖珍本をじっさいに手に取って閲覧できたこと。表紙に用いられた「ひさぎ」の葉の緑色の発色の美しさはとても戦中の本とは思えない鮮やかさで驚いたし、手にすっぽり収まるくらい小さな袖珍本は、平出さんにとっての"A Little Pretty Pocket-Book"*2なのであるなあ、と思って、その思いつきにひとりでに頬が緩んでしまう。


追記:

そうそう、あと、これは特記しておく必要があるからあわてて書くけれど、会場に来ているお客さんの層が若い女性中心だったこと.....!これは素敵で新鮮な驚きであった。わたしの斜め前に座った女の子なんぞ明らかに二十代(多く見積もっても半ばくらい)で、あの分厚い本をちゃんと持参して時折ページを繰りながらせっせとノートを取っていた。濁りのない目でこの本の魅力を捉えている読者が――本物と偽物の差がきちんと判る、とあえて言ってしまいたい誘惑に駆られるのだけれども――居るところには居るんだなあ、良質の書物の未来はさほど暗いという訳でもないではないか、と心に灯が点るような嬉しさで、トーク終了後にサインの列に並ぶ若い人たちをいつまでもぼんやりと眺めていたのだった。