しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

9/14,15に開催された、かまくらブックフェスタ(http://d.hatena.ne.jp/kamakura_bf/)に二日間とも参加した。いつもは平出隆さんのトークがある日のみ行くのだけれど、今年は大阪からはるばるやってきた、ぽかん編集室+編集工房ノアの机で売り子の手伝いをしたため。過去二回はお客として参加していたので、机の内側からの眺めはなんだか不思議な感じ。二日間いろいろな方々ともお会いできて、お話しできて、たのしい時間だった。誘ってくれた真治さんに感謝。

1983年のジョゼフ・コーネル映画祭

京橋のフィルムセンター図書室には、あらゆる映画資料を収集対象としているだけあって、こんなもの(リーフレット)まで所蔵されているのである。すごい(!)。1983年のその場に立ち会えなかった者として、せめて記録だけでもここに書きとめておきます。

1.
call#: FF6053 600
Joseph Cornell Film Screening
Jan.21,22,1983

ジョゼフ・コーネル短編映画作品上映会 昭和58年1月21日、22日 
午後3時30分より講演:岡田隆彦山口勝弘 雅陶堂ギャラリー竹芝

1. Rose Hobart
2. The Children's Party
3. Centuries of June
4. Aviary
5. A Legend for Fountains

別刷:Cassiopeia's Chair to Joseph Cornell, the artist of "Cassiopeia#1" / Takahiko Okada


2.
call#: FF6053 601
Films of Joseph Cornell
The Invisible Cathedrals of Joseph Cornell
Gatodo Gallery

エッセイ:ジョナス・メカス「ジョーゼフ・コーネルの目につかぬ寺院」(p.355 ジョナス・メカス著、飯村昭子訳『メカスの映画日記』フィルムアート社)

とき:[昭和58年?]3/27,29,31 4/3,4 2:30pm 4:30pm
ところ:アメリカンセンターABC会館

作品リスト
1. Rose Hobart
2. Gnir Rednow
3. Centuries of June
4. Aviary
5. Nymphlight
6. A Legend for Fountains
7. Angel


瀧口修造の序文「時のあいだを ジョゼフ・コーネルに」のはいった、群青色の薄いパンフレット"Seven Boxes by JOSEPH CORNELL"(Catalogue Gatodo Gallery No.3, 1978)はわたしの宝物の一冊である。ギャラリーで熱心にコーネルの箱を見つめる瀧口夫妻の写真を、白倉敬彦『夢の漂流物』(みすず書房)で見つけた時のうれしかったこと。ふと、s.t.氏がコーネルの映画を観たとしたらどんな言葉をのこしてくれただろうか、と考える。おそらく静かな熱を込めて――デュシャンの小展示に寄せたような、こんな口調で語ってくれたのではないか。


「なんと近づきがたく、なんと親しげな存在。その全作品を一堂に眺めることは、もういろんな意味で不可能になった。しかし、かつて全作品を鞄に収めることを思いついた人。いまは窓越しに、足跡の一端をしのび、おそらくその人が微笑みかけるのを待つ。」

増村保造『最高殊勲夫人』は、戦前の日活映画『結婚二重奏』へのオマージュである

関東でも梅雨明けが発表された午後、フィルムセンターにて、増村保造『最高殊勲夫人』(大映東京、1959年)を観た。若尾文子が可愛いテンポの良いロマンティックコメディの佳作といった感じで楽しめたけれど、いちばん感動したのは、母親役に戦前の日活スターだった滝花久子が出演していたことだ。日本映画を観る時には、つねにエーパンこと岡田時彦が基準になってしまっている(ちとどうかと思うが...)わたしのなかでは、滝花久子は田坂具隆『結婚二重奏』(日活大将軍、1928年)で共演した女優さんである。ハッピーエンドになだれ込む終盤で、父親役の宮口精二若尾文子川口浩の結婚を受けた台詞に「三重奏と言われるのはご免だうんぬん」(うろ覚えだがそんなニュアンス)というのがあり、これはもしかして!とひらめいたのだった。この映画は三姉妹の結婚を描いた増村版『結婚三重奏』であり、田坂具隆『結婚二重奏』とこの作品に主演している滝花久子への30年後のオマージュなのである、と言ってみたい。この増村作品からは市川崑と同じく、阿部豊、田坂具隆内田吐夢など戦前日活のモダン劇の系譜が感じられて、なんだかじーんとしてしまう。

二ヶ月以上も放っておいてしまった。書かないと何があったか思い出せないけれど、書いていないということは、特にぱっとしたことはなかったということか。今年は読書メモをほとんど書いていないことに気付いて焦る。もう半年終ってしまったというのに。再読を含め、読んだ本のタイトルだけでも手帖に書き込む。


今年は一月に読んだ『冬の幻』からはじまり、翌月『現代詩手帖』で追悼号(吉増剛造さんの文に...)が組まれたりしたため、昨年亡くなった飯島耕一さんのことがしじゅう気にかかっていて、気付けば飯島耕一さんの関連本(『萩原朔太郎1・2』『港町』『楠田一郎詩集』など)ばかり読んでいる。あとは、ルソー『孤独な散歩者の夢想』やモンテーニュ『エセー抄』には少しだけ救われるおもいだった。何も読めなくなった時は、古典を読むに限る。


「この人が生きているから」という心のお守りのような存在だった、那珂太郎さんと大西巨人が亡くなられたのも悲しかった。なんだかほんとうにがっくりきてしまった。図書館と家の往復の冴えない日日である。梅雨時期で雨がしとしと降るだけでも鬱々とするのに、政治や将来の見通しのことを考えるとますます俯き加減になってしまう。将来の見通し?なんて、そんなものわたしにあるのかしら。「見通しは暗い。夜どおし朝だ」という山口哲夫さんの声が頭のなかでこだまする。山口さんの運動神経の良いかっこいい詩を読むとようやく少しだけ気持が上向きになるけれど。それにしても、嫌な世の中になってきましたね。わたしは外的圧力に対しひじょうに脆い人間なので、いちど「ふさぎの蟲」に取り憑かれてしまうと、気が滅入ってしまって本さえも読めなくなるのです。困ったもんだ。ああ、願わくば強靭な精神と肉体が欲しい。それから、こういう「鬱の音楽」(那珂太郎)を吹き飛ばしてしまうような悦びも一緒に。


日曜美術館を観ていたら、世田谷美術館酒井忠康館長が出演されていて、夭折の画家・関根正二を紹介していた。関根正二の絵はデッサンも含め大好きな画家なので、思わず家事の手を止める。ブリヂストン美術館所蔵の《子供》(1919年)はほんとうにすばらしい作品で、何度も画の前に佇んだことがあるけれど、子どもの服の色が途中から燃えるようなバーミリオンになる秘密をはじめて知ったのだった。関根正二の描いた画を観に行きたい。夜、酒井さんの『早世の天才画家 日本近代洋画の12人』を読み返す。

『ぽかん』04号、届いた!


そろそろ出掛けようかなと思っていたら、玄関で呼び鈴が鳴った。郵便配達夫が「お届けものです」と言って手渡してくれたのは、有元利夫の絵を手作り封筒にして、美しい記念切手をたくさん貼った、真治彩さんからの荷物だった。わーこれこれ待ってました。急いで封を開けると、林哲夫さんのかっこいいコラージュ(グリフィスの文字が!)をあしらった正方形の本誌と大判の付録「ぼくの百」(福田和美さんの選書、硬派で男前)、桜の花吹雪が春らしい表紙の「のんしゃらん通信」、そして今号にはさらに読者からの感想文を載せた「こないだ」(表紙は別冊『昨日の眺め』の大平高之さん)も入っている。


前号もほんとうにすごいなあと思って感嘆して見ていたけれど、今号はさらに上をいったなあ、というのが最初の感想。こんなにすごいのを作ってしまって次はいったいどうするんだろう...と余計な心配をしてしまうほど。


まだ、全部をじっくり読んではいないけれど、本誌のほうは、小沢信男さんの句からはじまって、その小沢さんの『捨身なひと』について山田稔さんが書き、山田さんの著作を数多く出版している涸沢純平さんがつづき...とすべてが糸でつながっているかのようで、その親密な気圏を目の当たりにしてくらくらしてしまう。蟲文庫田中美穂さんの手紙も木山捷平への長いあいだ培われてきた敬愛の念が伝わってきて美しいし(がらんとした電車の写真もすてき)、岩坂恵子さんの「今も特別な用があるわけでもない外出のとき[...]服も着替え、戸締まりもしたあとで、結局やめてしまうこともある」というくだりに「ああ、わたしも!仲間だわ」と大きく頷いた。


扉野良人さんの新しい連載にも胸を躍らせて、昨年の九月に亡くなられた中川六平さんとのたった一度きりの出逢いを書いた、鹿角優邦「豪快なひと――中川六平さんのこと」を読み、つづけて中川さんの最後の仕事になった『古本の時間』を書いた内堀弘さんの連載にも田村さんや中川さんの名前が出てくるので、一通り読み終わって頁をとじたら、なんだかもう胸がいっぱいで目が霞んできてしまう。あーあ、みんないなくなってしまって。「――いなくなった人たちに」(武田百合子『日日雑記』)という好きな言葉が思い浮かんでは消えた。


こんなふうに本と人――亡くなった人も含めて――とをつなぐのは、読書という行為をめぐる、ある種の夢のかたちといってもいいと思うけれど、そんな夢のようなことを、真治彩という人はいとも易々とやってのけてしまう。しかも、こんなに繊細できれいな手付きで!その編集者としての手腕や直観の鋭さには毎度のことながら驚嘆するばかりです。


『ぽかん』04号(http://pokan00.blogspot.jp/