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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

five pieces of 2013

memo book art

2013年に読んで観てよかったものを備忘録として五本ずつ。今年はあまり映画は観られなかったのでパス。それにしても、雑事にかまけて年々読書量が落ちてきているのが深刻...。来年こそちゃんと本を読む生活をしたいと思う。


読んだ順

ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』(丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳、河出世界文学全集)*1
小説を読むことで、心身が昂揚し血のめぐりがよくなり生きる力が漲ってくるというのはめったにない経験だけれど(過去には大西巨人神聖喜劇』やブルガーコフ巨匠とマルガリータ』で味わったくらいかなあ...)、この作品を読んだことは間違いなく、今まで読んだすべての小説の中で圧倒的な読書体験となった。この歳になってようやく「20世紀文学の金字塔」を読む機会を持てたことを神様に感謝したいくらい!年明けに腸炎で一週間のあいだすることなく床に臥せていたからこそ読めた長編小説。余韻に浸りながら次々と読みすすめた、川口喬一『昭和初年の『ユリシーズ』』*2みすず書房)、 デクラン・カイバード著・坂内太訳『『ユリシーズ』と我ら : 日常生活の芸術』*3水声社)もそれぞれにわくわくするような読書の愉しみとなった。


黒田夏子abさんご*4文藝春秋*5
五回ほどくりかえし読みかえして、この美しく中毒性の強い文体に心ゆくまで溺れるようにして浸った、その時間の何という悦楽!すべての事柄がぼんやりとした半透明の白い靄のなかで行われているような、巻き貝の螺旋のなかで海の響きをなつかしんでいるような、幼少の頃の記憶を喚起させるこの感覚。五官を刺戟してやまないすばらしい小説だった。この作品に眼を留めてくれた、慧眼という他ない蓮實重彦に感謝しなければならない。


田中純『冥府の建築家―ジルベール・クラヴェル伝』*6みすず書房
建築家、作家、未来派演劇の監督など多彩な顔をもつ芸術家ジルベール・クラヴェルの初の評伝は、「質感」「肌触り」といった感覚に重きをおき、従来の学術的な研究とはやや異質のアプローチでクラヴェルという奇才の生涯に迫っており、専門外の読み手にも十二分に愉しみが味わえる。未来派やバレエ・リュスとのかかわりにもわくわくしたが、何かに憑かれるようにして生きた人の物語はやはり強度が違う。一次資料を時間をかけ丹念に調査することで見えてくるジルベールの肖像は、読後もますます謎めいた人物として映り朧げな輪郭のみが顕われてくるという印象なのだけれど、その気の遠くなるような時間の厚みがおのずと纏うことになる贅沢さが、確かなものとして読み手に伝わってくる。充実の図版とともにひじょうに読み応えのある良書だと思う。幼いジルベールが子どもの頃に抱いたというクリスタルへの憧れがずっと気に掛かっている。彼が描写したテクスト「クリスタルの庭」を読んでみたい。


内堀弘『古本の時間*7晶文社
もういなくなってしまった人たちのことを書かせたら、内堀さんの右に出る人はいないのではないか、というくらいに滋味溢れる、本と人とその周辺を描いた愛すべきエッセイ。まるで、前にこんなことがありましてね、と内堀さんに語り掛けられているかのよう。読みおえてなお何度でも頁を開きたくなるのは、さながら『昔日の客』の平成版といったところでしょうか。本書の校正刷りを確認して亡くなられた、中川六平さんの置き土産。


・『ぽかん』03号(ぽかん編輯室)http://pokan00.blogspot.jp/
ちょうちょぼっこ真治彩さんの2年ぶりの個人誌。判型も変え、付録が二つもついた、まさにプライヴェートプレスならではの愉しさがよく顕われている冊子。山田稔さんの「名付け親になる話」が親密な距離で書かれた文ですばらしい。わたしもご縁があって左川ちかのことを書かせていただきました。


その他、よかった本...
・内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』(論創社、2013年)*8
尾崎俊介『S先生のこと』(新宿書房、2013年) *9
近代ナリコ『女子と作文』(本の雑誌社、2013年)*10
渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』(講談社現代新書、2013年) *11
富岡多恵子安藤礼二折口信夫の青春』(ぷねうま舎、2013年)*12
・柏木隆法『千本組始末記 : アナキストやくざ笹井末三郎の映画渡世』(『千本組始末記』刊行会、2013年) *13

・ナサニエル・ウェスト『孤独な娘』(岩波文庫、2013年)*14
ルネ・ドーマル『大いなる酒宴』(風濤社、2013年)*15
・ローベルト・ヴァルザー著、若林恵訳『ローベルト・ヴァルザー作品集 3』(鳥影社、2013年)*16
アントニオ・タブッキ著、和田忠彦訳『夢のなかの夢』(岩波文庫、2013年)*17
・W.G. ゼーバルト著、鈴木仁子訳『改訳 アウステルリッツ』(白水社、2012年)*18

池内紀『架空旅行記』(鹿島出版会、1995年)*19
・柏倉康夫『マラルメ探し』(青土社、1992年)*20
清水徹『書物について : その形而下学と形而上学』(岩波書店、2001年)*21
吉増剛造詩学講義無限のエコー』(慶應義塾大学出版会、2012年)*22
・現代詩文庫『川田絢音詩集』(思潮社、1994年)*23


観た順

フランシス・ベーコン展(東京国立近代美術館
まったく好みではないのに否応無しに惹かれてしまう自分がいて驚く。展示されていた舞踏譜を視て土方巽のことがにわかに気になりだし、それから一時期は土方巽の本や映像などに眼をそそいでしまう日日だった。そしてその呪縛のようなものは今も途切れることなくつづいている...。ベーコンの他に、郡司正勝展(演劇博物館)を見たこともかさなって、郡司正勝『古典芸能 鉛と水銀』を読み齧ったりもした。わたしがもし土方巽に間に合っていたならば、彼の舞台を正視できただろうか...否、という気がする。それくらいすごい言葉が紙の上にもあった。


ターナー展(東京都美術館
人物画は微妙なのでさておき、あの大気と光の質感を間近に観ることができただけでもよかった。ターナーの水彩画のすばらしさに気付かせてくれるきっかけとなったのは、ゼーバルトアウステルリッツ*24白水社)を読んだことだった。


・加納光於 色身(ルゥーパ)―未だ視ぬ波頭よ2013 展(神奈川県立近代美術館鎌倉)
何といっても瀧口修造がくりかえし言葉を費やした作家ということで、自然と衿をただす気分で鑑賞。ご本人もいっけん物腰柔らかな方に見受けられるけれど、内に秘められた強靭な意志を感じさせる。「自分の仕事につけるタイトルには、もう一つ別の等高線を言葉によって作りたいという願望がある。作品と言葉のどちらかに寄るのではなく、その中間地点にいたい」とのお話。虹いろの色鉛筆で図録にサインをいただく際に、昨年12月の慶應のシンポジウムでもお話を聴きました、と言ったところ「そんなにいつも出ているわけではないのにねえ...」とちょっと困ったような顔で苦笑いをされていたのが印象的だった。


・山下陽子 未踏の星空 展(LIBRAIRIE6/シス書店) 
恵比寿の素敵なギャラリー・シス書店で隔年おきに開催される山下さんの展示をいつも愉しみにしているけれど、今年もほんとうにすばらしかった。オブジェも素敵だったけれど、特にシュルレアリスム的な世界をモティーフとしたコラージュの美しさは他の追随を許さない域にまで到達しておられるのでは。コラージュでは凛とした横顔の少女が望遠鏡を覗いている作品、オブジェでは泉をたたえたような黒い瞳の梟の子を描いた版画を封じ込めた星型の函が特に素敵だった。山下さんの作品はそのコスモスに吸い込まれてゆくようでいつまでも眺めて飽きない。


・ジョセフ・クーデルカ展(東京国立近代美術館
粒子の粗いざらついた質感のモノクロームの写真はヨーロッパ特有のメランコリーをたたえていて、魅せられた。亡命者としてヨーロッパ各地を流浪しながら撮影した「エグザイルズ」が特にすばらしかった。安井仲治《流氓ユダヤ》を思いだす。パノラマ・カメラを使って撮影された一連の作品のなかで、いちめん靄に包まれたギリシャの雪景色があり「美しいなあ、アンゲロプロスの映画みたいだ」と思っていたら、年譜にちょうどその頃『ユリシーズの瞳』の撮影クルーとして同行したとあったので、おお!となる。


その他、よかった展示...
アントニオ・ロペス展(Bunkamuraミュージアム)
・近代洋画にみる夢 河野保雄コレクションの全貌 展(府中市美術館)
竹内栖鳳 近代日本画の巨人 展(東京国立近代美術館
・詩人と美術―瀧口修造シュルレアリスム 展(足利市立美術館)