しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

もともとの好みとして、寒色系の色をたえず頭のなかに抱えているというのがあるにせよ、この冬はながく寒いままいつまでもつづくように思え、北の冬のイメジが結晶化されたような美しさをたたえた言葉に見とれることが多かった。昨年の真冬のあいだは、極北の白鳥とその羽撃きの純白の光跡を本のページが捲られる姿にかさねて思い描き、鳥と船は詩に何てぴったりなのだろう、そういえば、折口信夫の短歌結社は「とりふね」で、伊良子清白の詩集も『孔雀船』なのだし…などとめぐらしながら、小沢書店版の吉田一穂全集を何冊も抱えて読みふけったりしていたものだけれど、この冬は、秋口から読んでいたステファヌ・マラルメ全集とその周辺の書物をいろいろとあれこれ摘み読みしながら、紺青色の澄んだ寒空に輝く星辰に展翅された白をぼんやり眺めて、『骰子一擲』はその陰画を書物に現したものなのだな、などとつらつら考えていたら、そのままひと冬を越してしまったのだった。


気が付くとようやく身体がほっと緩むような暖かさがきて、うらうらとした陽光に向かって伸びをして出掛けたいような日和もふえて、鼻筋がひいやりとし頭の芯がじんとするほど寒い、薄暗い灰色の部屋でひとりマラルメを読む、という気分でもないのだけれど、どうしたことか寒い白い感覚から抜け出せずにおり、そのままこの周辺の本を寄り道を繰りかえしながら読み進めてしまっている。もう少ししたら、わたしにも春の読書がくるのかな、春にぴったりな、好ましい造りの龜鳴屋さんの新刊『多喜さん詩集』も控えているし、とか言ってまごまごしているうちに、夏はある朝突然やってきて扉を叩くのだ。こちらの準備ができていないというのもお構いなしで。あ、でも夏の日に海の音をおもいながら黒田夏子さんの『abさんご』を再読するのはたのしみだけれど。