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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

book murmur book murmur

黒田夏子abさんご*1を読む


物語を要約したらわずか数行で終わってしまうだろうこの小説は、読みおえたそばから、ふたたび最初の頁に戻って読みはじめたいと思ってしまう不思議な魅力にあふれている。うっとりと感嘆のため息を吐きながら、もう五度ほど再読してしまった。読みおえても、手応えといったようなものはなく、ほとんどかすかなイメジがまなうらに閃くだけだというのに。


小説とは、畢竟、何を書くかではなく、いかに書くかだと思っているような読み手にとって、この作品に浸っていることはしじゅう描写の美しさに触れている悦びに満ちた時間であった。


かすかで、おぼろで、ぼんやりとした光がたゆたいさざめき、途切れ途切れの記憶の断片とともにコラージュされるイメジは、それじたいが、ほの白いうす靄のすり硝子の向こうにある、ひいやりとした硝子玉のような肌触りだ。遠い海鳴りを聞くともなく聞いているような、「巻き貝」の耳で海のひびきを懐かしんでいるような。そこには、受身ともあきらめともやりすごしともつかぬ、ながいながい時間が沁み入っている。


固有名詞を排し、漢字を纏わせることで意味を自明のものと限定することへのささやかな懐疑は、書き手に平仮名を多用するという方法を編みださせた。そのような方法で書かれた文は、目が一所に長く留まるので、読み手に時間をかけて読むことを強いる。すべてインスタントでコンビニエンスなものが良いとされている世の中で、このようなまどろこしい時間を持つことの何と言う贅沢さ。あまりにも反時代的な抗いである(かっこいい!)。


aの道も、bの道もあったのに、択ばれなかった。枝分かれする「さんご」=coralの道もあった。文中の、淡紅、うす紅色、あんずいろはそれぞれに珊瑚を思わせ、この小説全体に射しいっている色である。「死そのことにはぜんぜんさわっていない」「匂いさざめく」といったすぐれて感覚的な言葉遣いに、ところどころひじょうに強い表現が差し込まれることで、真綿のなかで銀のナイフが光っているような厳しさがある。気の遠くなるほどながい時間をかけて書かれたこの作品は、著者にとって書かなければならぬ喪の作業に等しいものだったのだろうか。