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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

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crystal cage叢書: 河野道代『時の光』(TPH, 2012年)を読む


これは、身辺雑記と括られるたぐいのものかもしれないが、驚くべき「性能」をもった眼を通し、磨き上げた鉱物のような光を放つ言葉をそこに配することで、これほどの高次な芸術に貌を変えることができるというお手本のような散文集である。かの女の眼と手にかかると、何でもない身辺の極めて些細なことがらどもが、突如として輝きだす。そのさまは、まるで天上から響いてくるアリアのようで、光の帯とともに「啓示」という言葉さえ頭をかすめる。寡作で知られる詩人・河野道代の紡ぎだす言葉の輝きに、心の底から魅せられたという思いでいる。


目次をひらくと二文字の言葉が整然と模様のように並んでいて、ふしぎだなと思って頁を繰り、はじめの一篇に眼を落としたのだが。


驚いた、あまりに素晴らしいので。これはもう驚いたとしか言いようがない感覚だった。わたしの拙い言葉でこの素晴らしさを伝えるのは困難なので、冒頭の一篇「風景」からはっとした文章を引く。

そのような窓辺に倚ってぼんやり頬杖をついていると、下を通るさまざまなものが眼に入る。犬が通る。前後してその飼い主が通る。日除けを翳した乳母車が通る。ゆっくりと車輪を転がして、自転車が手ぶらの老人を追い抜いていく。通学時には、数人ずつ固まった高校生の、それぞれに心を砕いて着崩した制服が通る。数軒先には大学の迎賓館があるために、宿泊客と思われる外国人が、大きなキャリーバッグを音立てて曳いていく。学者風の穏やかな一団が過ぎるときは、そこでなにかの催しがあると知れる。(「風景」p.9〜10)


まずは、この文章のリズムの素晴らしさ。読んでいて何とも心地がよいのだ。そして、どれも一字一句動かしようがない極みにまで厳密に彫啄された言葉を置いているのがわかる。それから、さらに立ち止まって眼を凝らすことになったのは「心を砕いて着崩した制服が通る」という箇所だった。高校生が決まりきった制服を、お洒落に着こなそうとして細工を施している姿を、わたしもよく街で眺め見るけれど、「それぞれに心を砕いて着崩した」とは、これまた何と適確な表現なのだろう。ここの一節を読んで、河野道代という書き手の、言葉に対する意識が凡百の書き手を遥かに超えた、ものすごい高次の位置にある、ということを知った。


観察者としての類い稀なる眼の良さは、そのまま事物に対する時の透徹した眼差しを通過して、読み手に届けられる。たとえば、「彼方」で描かれた、シジュウカラを写しとるこのくだりの美しさと精確さはどうだろう。

まず眼を惹くのは、黒い頭部にくっきりと浮かぶ白い頬だろう。それは後頭部に点じられた小さな白斑とともに、きびきびした頭の動きを際立たせ、この鳥をことさら愛らしく見せる。眼は頬の白に接して、目深に冠った帽子のような黒い羽毛のなかに光る。それが、きろきろと小さな珠の輝きを放つたびに、わたしは、胡桃の種子の四分の一量にも満たない頭脳の、小鳥の考えというものを想像する。頭の黒は白い腹部へと、にじんだひと刷けの帯となって流れる。(「彼方」p.12)


さらに続く数行もことのほか素晴らしいのだが、とりあえずの引用はここまでにするとして、わたしの偏愛するシジュウカラを、かつてこんなふうに写しとった書き手が他にいただろうか(いや、いない)。フィルムセンターの待ち時間に読んでいてひとりでに頬が緩むのを抑えることができなかったくらい、このシジュウカラの愛らしさが存分に描写された「彼方」という一篇は、もうひとつのお気に入り「行進」とともに、すぐさまわたしの偏愛の対象となったのだった。


コンセプトはひじょうにミニマルである。「わたしの北窓」と呼ばれる、かの女にとっての光の額縁をとおした眺めを季節の移ろいのなかに描きだすことをおそらくひとつの軸として、暮らしている街の風景とその目抜き通りである「大学通り」を往き来する日常のなかで、出逢った動物や植物、人々にかんする些細なことがらを、かの女の心の眼で書き留めているだけだとも言える。だが、しかし、そのような採るに足らないささやかなことがらでさえも、「高貴なものはすべて、稀であるとともに困難なのである」(スピノザ)を体現しているような書き手をもってすれば、このような高次の文章作品ができあがるのだ。言葉がそれ自体でもののような輝きを帯びだすのはこんな文であるだろう。まさに"crystal cage"の名に相応しい透明な輝きが文章のそこここにきらめいている。この本は、それらを見つけ出す読書の悦びに満ちている。


河野道代さんの文章教室があったら入塾したいなあ、とキーを叩きながら、あ、お向かいの庭に今、まさにシジュウカラが来たところ。茜色の花をたくさん付けた山茶花の葉叢で、数羽がツツピ、ツツピと啼き交わしている。