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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

murmur book

詩集を遺さなかった詩人・増田篤夫のこと


「透明な世界に於ては、凡てが秩序である。秩序は自由である」(三富朽葉


青木重雄『青春と冒険 神戸の生んだモダニストたち』(中外書房、1959年)は、モダン都市・神戸のもっともよき時代を小松清・竹中郁稲垣足穂の三人の文学者をとおして活写していて、この時代に興味のあるものにとっては無類におもしろい読みものだけれど、この前、タルホ蒐集家の古多仁昴志さんと少しお話しする機会があったので、ふと思い立ってこの本を再読してみたら、竹中郁について書かれた文のなかに、増田篤夫の名前が出てきたので驚いた。

だが、この小説(引用者註:短編小説「見舞」)のよさを誰よりもまっ先に認めてくれた文学者が神戸にいた。詩人三富朽葉(みとみ・きゅうよう)の親友で大正十五年に「三富朽葉詩集」(第一書房刊)という、箱入りで金文字入り皮表紙、834頁の豪華本を編さん出版したフランス文学者で詩人の増田篤夫だった。(p.160)


東京と神戸のあいだを行き来していた増田篤夫に、竹中郁がはじめて会ったのは大正14,5年頃、福原清の紹介だった。竹中郁は小説「見舞」を発表前に彼に見せたところ「鴎外的な匂い」が気に入ったようで、激賞してくれたという。この頃、すでに増田篤夫は病重く床にあったが、彼の人となりに引寄せられるようにいつも友人たちが集い、彼を中心とした一種の透明な気圏をつくっていた。その中には、無量光寺の住職で足穂のよき理解者だった小川龍彦の姿もあった。


以前の読書では気づかなかった増田篤夫の名前を気に留めることになったのは、今年の春先に『三富朽葉全集』(牧神社、1978年)を手に入れたからだった。親友の遺稿を一冊の書物に昇華させるため奔走し、自らの詩集はついに持たずに亡くなった詩人...。ふと思いだすのは、小林善雄*1のこと(内堀弘「詩集を遺さなかった詩人」/『ユリイカ』2003年4月)だけれど、四十代での脊髄カリエスによる死を思うと、無常という言葉がついて出てくる...と、何だかしんみりした気持ちで増田篤夫のことを思ったことがあったので、彼の名前はふかく脳裡に刻まれた。


牧神社版の『三富朽葉全集』には、『新詩論』(1932年10月)に掲載された、増田篤夫「三富朽葉詩集」も収録されている。附記に「友人吉田一穂君の寛大な慫慂に会うて、わたくしは稍ためらひながら之を取り上げてみることにした」とある。吉田一穂の詩篇には三富朽葉の影が読めたから、この記述を読んで、そうかそうかと嬉しくなる。

*1:先日、閲覧室でぱらぱらと読んでいた『VOU』復刻版(『コレクション都市モダニズム詩誌』第15巻)にあった中村千尾「西崎晋の思い出」にも小林善雄の名前が出てきて「ああ、ここにもまた」と思ったのだった。他人のために身を砕く、こういう人生のかたちもあるのだな...。