しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

旅の親密なスーヴニール:『瀧口修造1958 旅する眼差し』(慶應義塾大学出版会、 2009年)

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刊行当時からいつか手に取ってみたいなと思っていたこの本(箱?)をようやくじっくり読む(見る)機会を与えられた。


1958年、瀧口修造ヴェネツィアビエンナーレ日本代表および審査員として渡欧する。生涯ただ一度きりの欧州への旅となった。これは写真集、解説書、ファクシミリ版の絵葉書と旅の手帖、封筒に入ったオリジナルプリントのひとつびとつを採集してきて、包装紙やラベル、地図、栞などで彩られた、美しいクリーム色の縦長の箱に収めたものだ。晩年になってジョゼフ・コーネルの箱に魅了されつづけた、或いは、ローズ・セラヴィという名の「オブジェの店」を夢想していた瀧口の書物ならではの仕様といえるだろう。箱を眺めながら、ふと、《瀧口修造:夢の漂流物》展(世田谷美術館、2005年)で観た、小石や貝殻や珊瑚の屍骸のぎっしり詰まった卵色のチョコレート・ボックスを思いだす。ひしゃげたリボンまでついていた。たしかあれはダリの居たカダケスの海辺で採集されたものではなかったかしら。それから、ダリから贈られたという小さなジャスミンの押し花...。


フランス、スペイン、ベルギー、オランダ、スイスをぐるり周遊しながら撮られたスナップショットの数々は、眺めているこちらも瀧口修造と一緒に紙上の旅に出かけているような気分を味わせてくれる。とりわけ、去年の欧州旅行で訪れた国々の写真は、わたしの訪れた場所が映り込んでいないかとじつに丁寧に眺めた。マドリッド滞在中、プラド美術館に少なくとも5回は行った(5回分のチケット半券が残されていた)という解説を読み「おお、さすがは瀧口修造だ...」と感心したり。ちょうどこの前の休みに《ベルリン国立美術館》展で観たルカ・ジョルダーノの画に、プラド美術館で観たリベラを想いおこしていたところだったのでそんなことも嬉しい。浜口陽三や東野芳明など瀧口以外が撮影者となっているものもあるけれど、どの写真からもプライベートで親密な旅の様子が感じられて(もっとも、ヴェネツィアビエンナーレ会場での写真は仕事中という感じがするのもあるけれども)こんなにへだたりのない場所から瀧口修造を眺められることにどぎまぎしてしまう。とにかくここ数年、瀧口修造その人と彼をめぐる透明な気圏にますます魅せられているようなのだ。写真に映っている瀧口修造の姿はあんまり無防備な感じがするので、草葉の陰からこっそり盗み見しているかのような、こちらが何か悪いことをしているかのような、どことなくひんやりと後ろめたい感覚さえある。


後ろめたい感覚といえば、綾子夫人宛のファクシミリ版絵葉書12通を読めてしまうことだろう。ファクシミリにより切手から筆跡から葉書に遺されたしみにいたるまで精巧に復刻された夫人宛の絵葉書を、まったく関係のない一読者が、じっさいに手にとって読むことができる。切手の上をそっと指で撫で凹凸の手触りがないことを確かめてみる。これが本物ではないことがわかってほっとする。没後30年という月日は推し量られた距離をいくらか靄がかったものに変えているのかもしれないが、読むことそれ自体が何だか禁じられているような、畏れ多いことのような気がする。含羞の人だったという瀧口が果たしてこういうかたちでの公開を望んでいたのだろうか、などと考えるとすこし心乱れてしまう......とはいえ、読者というものは、結局のところそれらすべてを無遠慮に読んでしまう訳ではあるが。綾子夫人宛に書かれた葉書や手紙を読めば、瀧口修造の留守宅にのこしてきた彼女と病床にあった姉に対するやさしい心遣いが手にとるように伝わってくる。「やさしい心遣い」だなんて物凄くありきたりな言葉だけれど、彼の場合にはそれが純粋な意味で当てはまるような気がする。ほんとうに穏やかでやさしい素敵な人だった、とは瀧口修造を知る人が皆一様に口を揃えて言うことだ。それに、ユーモアにくるまれた言葉の数々にも読んでいてくすりとさせられる。田村書店の奥平晃一さんが「もう、ほんとうに何とも言えず素敵な人だったんですから」と、感嘆のため息とともにひといきにそうおっしゃったことが頭のなかでこだまする。瀧口修造に会ってみたかった。詩人旅行必携・リバティ・パスポート、瀧口セラヴィ農園で収穫されたオリーヴの壜詰、エトセトラ・エトセトラ......近しい人々にいつも何かオブジェめいた贈り物をしてそれをみずからの喜びとしていた人。「ああ、なんという愛すべき、うつくしい人物だろう。つつましやかで、ものしずかで、まるでお嬢さんのようだ」(花田清輝


いろいろとにっこりするエピソードがあるけれど、ここではひとつだけ引用しておきます。

1958年7月30日(パリ、封書)
......この前、前田君と二人でぶらりとリュクサンブール公園の傍の小さい古本屋をひやかし(ここでもいろいろ面白い収穫や話があるが)またその近くの少し大きい古本屋に入った。品のよい老人の主人らしいのが坐っていた。棚を見るとシュルレアリスムの本などもあって、一部ガラス張りでカギがかかっているので、そこを開けて貰ってみると、古いシュルレアリスムの機関誌などがある。私が夢中になっているので前田君はすこし手持無沙汰の様子。ぼくがはっとしてどうもこれは昔からよくシュルレアリスムの出版をしていたジョゼ・コルティ José Corti *2ではないかと思って、前田君に表の看板をみてきてくれというとやっぱりそうだという。それから主人に名刺を出して、昔の話をすると、非常になつかしがっていた。例の「シュルレアリスム小辞典」が残っているかときくと、奥から一冊大事そうに出してきた。そこのTのところを見てくれというと、ぼくの名前を発見して、ああそうかという顔で握手した。


戦時中に瀧口の身におこったさまざまなことに思いを馳せると、これは何とも感慨深い挿話である。読んでいて鼻の奥がじんとする。