読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

murmur book murmur book

年が明けてもう十日も経つけれど、わたし(たち)はまだ心のどこかで、昨年11月の対談「小沢書店をめぐって」の余韻に浸っているようだ。トークのなかで長谷川郁夫さんがちらと言及されていた「叢書エパーヴ」や「エディシオン・エパーヴ」のことが引っ掛かり、白倉敬彦という名前が幾度となく食卓で飛びかっていたところに、年も押し迫ってから立ち寄ったいつもの古書店で、きっぱりと白い背表紙の、白倉敬彦『夢の漂流物(エパーヴ)―私の70年代』(みすず書房、2006年)*1が書棚にささっているのを見つけたのだった。それで、さっそくこの本をもとめて読んでみたら、あんまり素晴らしい読みものだったので、瀧口修造をめぐる透明な気圏を象っている人々――宮川淳、豊崎光一といった、その不在/空白を埋める者がついぞ現れなかった稀代の書き手――のことがにわかに気になりだした。


この書物に掲載されている写真がこれまた素晴らしくて、雅陶堂ギャラリーで1978年に開催されたジョゼフ・コーネル展での、コーネルの箱に見入る瀧口修造・綾子夫妻のスナップなど思わず歓声をあげてしまうような嬉しさであったし(ちょうど前後して、クリスマス・イヴに生まれたコーネルのこの展覧会のカタログを、自分へのクリスマスの贈り物にと勝手に称して入手したところだったのでなおさら)、それになんといっても、そのなかの一葉にあった豊崎光一の美青年ぶり*2に陶然となってしまって、こんなすてきな豊崎光一の本をきちんと一冊読んでみたい!と思ったのだった(おお、なんというミーハーぶりよ...)。


というわけで、年始早々の読書は、豊崎光一『文手箱』(書肆風の薔薇、1986年)*3と決まった。豊崎光一の著書目録と睨めっこして、これなら通読はできぬとしても、何とか読めるかなあというわけである。t.p.versoには「本書は、金井美恵子坂部恵清水徹、豊崎光一の編集による風の薔薇叢書の一冊として刊行された」とある。そうか、金井美恵子はこんなすごい人たちと一緒に本をつくっていたのだなあ...。以前はずいぶんと熱心な読者だったのに、久しぶりにかの女のことを思いだしたことに気づく。


「『余白に書く』あるいは星からの音信」における、「描く 書く」「あいだ(空)間」「手 掌 稲妻...」「掌と鳥」をキイとして配した断章というか瀧口の詩篇からの引用の束は、いちいちノートに書きぬいておきたい誘惑に駆られる言葉のかずかずだ。瀧口修造の詩片のなかで屡々出現する鳥のイメジと、その鳥が羽根を拡げてばさばさと羽搏くさまが、本のページが風でばさばさと音を立てて繰られるイメジへとつらなり、かさなりあってゆく。ふと、"慈悲心鳥がバサバサと骨の羽根を拡げてくる"(土方巽吉増剛造)というフレーズも思い浮かんでしまう...。とはいえ、鳥が羽搏くイメジが、紙のこすれあう音を立てて捲られる本のページのイメジとつらなってゆくというのは、何もこの本に限ったことではなく、むしろ普遍的なものと言えるだろう。


あるいは、宮川淳への追悼文におけるこの箇所も、わたしのイメジをおぎなうものとなった。


「鳥の羽のように折りたたまれ、本を開くことによって象徴的にくりひろげられる空間......そのとき、憑きまとう意味の亡霊から解き放されて、すでに別の軽やかな意味作用へ、あの《ほとんど振動性の消滅》へと向ってすべりはじめるのでないならば、ここに拾い集められたこれらの過去の断片にとって、本とは苦痛以外のものではないだろう。」――宮川淳が残した言葉たちを新たな本として飛翔させようとするとき、われわれが忘れるべきでないのは、たぶん、このことであろう。(p.213-214 「宮川淳の死」)


ところで、年のはじめから、このどちらかといえば難解な本を読むことになったのだけれど、真冬のあかるい陽光の射しこむ暖房の効いた部屋でこの本の頁を繰りながら、わたしはその難解さゆえに、あるいは、寝不足の頭を抱えていたからなのか、たんに食事のあとだったからなのか、幾度となくみじかい午睡の夢に入りこむことになった。その刹那、まさに夢にすとんと落ちてゆく瞬間に、わたしの左手は本を開いていたいという意志の届かない、添えものにすぎない物質となるので、鳥が羽を拡げるように、かなり大袈裟なばさばさという音を立ててページは瞬時に繰られてゆき、それから本はなにごともなかったかのように、ひっそりともとの矩形になる。


そのページを繰られる前のひそやかなかたちに戻った本の姿を「やれやれ、まただ」となかば呆れかえったように見つめながら、ふたたび左手に意志を持たせてページを開く、しかし微睡みがまた不意に襲ってくる、という行為を繰り返し繰り返す。しかし、これもある一つの読書の方法といえるだろうか?

この本のタイトルである『文手箱』というのは、いったいどこから来たのだろうか、という思いを抱きながら、ふたたび『夢の漂流物』を繰っていたら、瀧口が雑誌『エピステーメー』の「巻末特集―宮川淳の墓」に寄せた詩文は「手箱から」と名づけられていた(p.183)。豊崎光一の瀧口修造宮川淳へのおもいが伝わってくるようだ。

*1:ISBN:9784622072324

*2:周囲の皆が「暗鬱な美青年」(ル・ボ・テネブルー)と呼んだという!さもありなん。

*3:ISBN:4891762012