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しっぷ・あほうい!

或る日のライブラリアンが綴るあれやこれや

千葉市立美術館(http://www.ccma-net.jp/index.html)で13日まで開催中の《酒井抱一と江戸琳派の全貌》を観に行く。


琳派といってすぐさま色めき立つような日本美術愛好家でもないし、神坂雪佳が好きなくらいでまったく詳しくはないのだけれど、酒井抱一の《夏秋草図屏風》という作品だけは、最初に見たのはいつだったかもう忘れたけれど、複製で見て「これは、これは」と思ったのだった。


今回ようやっと実物を間近に観察することが叶って、ずいぶんと長いあいだこの屏風のそばに立ったり座ったりして眺めていたけれど、やはりというか当たり前と言うべきか、複製と実物はまったく色が違っていた。特に背景のにぶい銀色の輝きは図録や絵葉書ではのっぺらな濁った灰色にしか見えずにいたのに、実物の銀のにぶい煌めきのいや渋くて美しいこと!ところどころに薄い墨色のしみを帯びているのも、右上に描かれた柔らかな水の群青も何とも言えず画面に調和していて、ああ、これはわたしの好きな画だとすぐさま感覚した。画に描かれている百合や昼顔や女郎花や薄や萩や野葡萄をひとつひとつ確認するように細かく見て行って、あんまりいちいちが綺麗なので嬉しくなってしまい、ひとりでに頬が緩んでしまう。酒井抱一を見ながらにやにやしているなんて、端から見たらなんだか気味の悪いへんな女であったことだろう。


とりわけ、宝石を鏤めたような野葡萄の実が描かれていたのは、わたしにとっては格別に嬉しいものであった。神奈川県の「林間」と名のつく郊外の街で育った幼少の頃は、すっかり図書館に籠るようになった今とは違い人並みに活発な子どもだったので、家の裏手の徒歩圏内にある雑木林は我が庭であり、秋にもなるとそこで朱色の烏瓜の実を蔓ごと切ってきて部屋に飾ってみたり、洋種山牛蒡の真紫色の実をしぼって「ジュース」と称するとても飲めたものではない不味い飲み物をつくったりしていた(洋種山牛蒡の実で洋服を紫色に染めて遊びから帰ると、母によく窘められたような記憶がある)。中でも散策しているとよく出遭う野葡萄の実――紫、赤紫、群青、エメラルド・グリーン、セルリアン・ブルーなど色とりどりの美しさには心底魅せられた。秋の雑木林のいちばんの愉しみだったのである。後年になって寒色系の色の美しさに惹かれるようになったのは、もしかするとこの頃の影響なのかも知れない、とこれを書いていてふと思う、とまあそんなどうでもいいような極めて私的な《おもいで》を甦らせてくれるにじゅうぶんな鑑賞となった。って、ここまで書いて、これ野葡萄ではなかったらどうしよう...いや、これは野葡萄であったと思い込もう、としたものの、そうは言えどもやはり気になって手許の『野山の樹木』(山と渓谷社)で野葡萄を調べてみたら、うーん、野葡萄の葉はどうやら赤く紅葉しないようである。とすると山葡萄か蔦なのか。一般的な植物が描かれているから蔦だろうか。すると、これは完全なわたしの思い込みになるという訳だれど...まあ、わたしという人間の半分は思い込み(というかオブセッション)で成り立っているようなものなので、とりあえずの正解はさておきたい、というのが気分である(勝手ですね...)。